阿賀神社(太郎坊宮)
滋賀県東近江市小脇町2247(旧八日市市) mapfan

一の鳥居と赤神山(太郎坊山)

二の鳥居と赤神山(太郎坊山)


交通案内
近江鉄道太郎坊駅 北へ800m


祭神
正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊
 合祀 蛭兒大神、天滿大神、田中大神、大將軍大神、日吉神、清水神、雨降大神

成願寺  一願成就社
 


由緒

 成願寺は天台宗で、本尊は平安時代の薬師如来坐像。寺伝によると、伝教大師が延暦十八年(799)に建立したと云う。比叡山延暦寺の流れをくむ平安仏教の佇まい。

 本堂左手から標高260mの石段700mを登る。きつい勾配である。そこに参集殿がある。太郎坊は通称で阿賀神社と云う。7世紀の創建とされる。古代信仰の名残をとどめ、奥宮、辺宮、里宮の形式。本殿前の巨石は夫婦岩と称され、女性のシンボルをあらわしているとされる。金剛界・胎蔵界の大日如来になぞらえられる。とにかくの磐座群はその辺り一帯にある。

工事中の本殿


お姿
 太郎坊駅の北側に大きい鳥居がある。
 北へ歩く参道の両側は桜。二の鳥居から境内らしくなってくる。 本殿へ300mとの標識がある。最初は歩行距離と思っていたが、どうやら垂直の高さを云うようで、急な石段をえっちらおっちら登る。車は参集殿まで登れる。垂直200m。

 これだけ巨岩が多いと、磐座ファンにはたまらないだろうが、飽いてくる。裏参道の女坂には七福神や天狗、福助などが巨石の上に鎮座している。 

夫婦岩

拝殿(仮本殿)

不動明王   玉石社、夢神社
 

稲荷、二見、十二社神社     紫微社と蒲生野
 

お祭り
  3月 24日  例祭
   12月 8日  お火焚大祭

 平成祭礼データから

 神道に天台山岳仏教と修験道の信仰が相交わり、特殊な信仰形態のもとに、今日の太郎坊信仰が確立された。当社は八日市市が一望できる赤神山の中腹にあり、全山巨岩が多く、見るからに神秘な霊山で、神体山信仰、盤境信仰の発祥の地であるといわれている。山上には奥津磐境、山麓には辺津磐座と祭祀場がある。この辺は昔蒲生野と伝えられ、社伝には欽明天皇の御代聖徳太子が、又伝教大師が参篭され、広大なご神徳に感銘され、五十余の社坊を建立して廟社を守護させられた。近江の国主佐々木秀義の頃源氏破れて源義経が奥羽に向う途次、当山に登り源氏再興を祈願した故事があり(吾妻鏡)義経休憩の「腰掛岩」が保存されている、又頼朝上洛の時、佐々木定綱と共に当社に幣帛を献じた、佐々木氏と織田氏の戦により五十余の社坊は殆ど焼失し、現在成願寺と行万坊、石垣坊の一寺二坊だけが残存している。

 郷土史上有名な高句麗よりの帰化人「狛の長者」創建の金桂宮を初め郷土の諸神を明治年間に合祀し全国各地の信者の浄財寄進で、本殿の拡張をはじめ諸殿舎が造営された。特に昭和四十八年竣工の参集殿は、八棟、千鳥破風、銅板葺、鉄骨コンクリート造りで、地上三階地下一階の荘麗優雅な近代神社建築である。続いて昭和五十八年に特殊神事保存の目的で、一願成社が裏参道に造営された。木造入母屋造り銅板葺で、殿内は本漆塗、極彩色、金箔をほどこし、天井は二尺角格天井九十四枚総て、国内自生の花九十四種が描かれており、まるで高天原の花園にいるような雰囲気で、自づと願望が成就できると参拝人が後を絶えない。

 明治九年村社に列せられ、同四十二年神饌幣帛料供進指定となり、昭和三十六年別表神社となる。
以上

参考 『磐座紀行』藤本浩一著、『平成祭礼データ』

公式阿賀神社(太郎坊宮)

神奈備神社一覧 滋賀

神奈備にようこそ