矢川神社 やがわ
近江 甲賀 滋賀県甲賀市甲南町森尻310 ゼンリン

交通
JR草津線 貴生川 南へ1km 甲南駅 北へ500m
 

祭神
大己貴神、矢川枝姫命

由緒
   矢川枝姫命は八河江比売、矢河枝比売とも記される。杣川水系の司水神として矢川津の地に祀られた神である。

 古事記・大国主の系譜の條の中に「この神(大国主の神)、葦那陀迦[アシナダカ]の神またの名は八河江比売[ヤガハエヒメ]に娶ひて生みませる子、連甕の多気佐波夜遅奴美[タケサハヂヌミ]の神。」 と出ている。

 また同・応神天皇后妃と皇子女と條に「品陀和気の命、(中略)また丸邇[ワニ]の比布礼[ヒフレ]の意富美[オホミ]が女、名は宮主矢河枝[ヤカハエ]比売に娶ひて生みませる御子、宇遅[ウヂ]の和紀郎子[ワキイラツコ]、次に八田の若郎女[ワキイラツメ]、次に女鳥[メトリ]の王。三柱。」 と載っている。

 上記記述の時代は神代と人皇時代とかけ離れている。矢川枝姫命とはこの地域の女王の世襲名であったとか、昔の一つの伝承を神代と人皇時代に適宜配分して記述したとか、応神天皇は大国主也との説の根拠の一つになったりするのである。

 葦那陀迦の神は近江では、近江浅井(東浅井郡虎姫町中野)の矢合神社にも祀られている。矢合神社の由緒書にも「水辺を司る」と出ている。
由緒の一部「古くは八相社又は八相大明神と云へり、鎮座するこの一帯の山を八相山と云ふ。八相を“やわい”と訓読す。 けだし当神社には往古より弓矢の神事ありて村民盛んに射的を神前で行ひ多くの矢が行き合うことにより、矢合の文字を以て社名とせり。 祭神の葦那陀迦神は葦の生じ易き水辺を司どり給ふ神なり。この地古くより水利の便意の如くならざりしかばこの神を祭る。世にいふ世々開長者の“せせらぎ”は水の湧き出ずる状を表す語にして村民篤く敬仰す。

 「矢」は、多い、湿地帯を表す野、急流、丹塗矢に見える男神の象徴とか、が考えられる。 古代の共通語から見ると、矢川神社は、他に、「 ya = 神」「kawa = 川」とおいて、「川・神」または「kawwa = 鳥」で「鳥・神」と読める。 祭神の矢川枝姫命「ヤガハえひめ」の「ヤガワ」は神族、エヒメは偉い(エ)、(ヒ)、目=役職者(メ)であろう。御神体の川への掛詞となっている。(焼尻説)

 矢川神社の創建は、聖武天皇の紫香楽宮造営時と伝わる。延喜式内社甲賀八座の筆頭に置かれている。

お姿
 杣川の河岸の段丘上に鎮座、神域は13,000坪と実に広く、杉や椿・樫などの照葉樹も多く、緑の豊かな社叢である。 アオサギの群が多く、その糞害には宮司さんもいささか憤慨されている。

本殿と屋根のアオサギ

 

お祭り
 5月1日  例祭・矢川まつり

矢川神社由緒書
 
 

公式矢川神社
延喜式神名帳 近江

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