三社神社
大阪市港区港区磯路2−19−23 its-mo

東鳥居



南鳥居


交通

地下鉄朝潮橋 西300m


 
祭神

天照皇大神、豐受大神、住吉大神、熱田大神、齋主大神、秋葉大神


摂社
大海神社
柿本神社
稲荷神社



拝殿

由緒(大阪府全志)

  元禄十一年當新田開発者市岡與左衛門の勧請なり。
 もとは皇太神社と称して明治五年村社に列し、同三十九年五月十六日今の社名に改め、大正三年十月神餞幣帛料供進社に指定せらる。
 境内は弐百四拾弐坪を有し、松・楠等の樹木多く、本殿の外に幣殿・拝殿・社務所・神具舎を存す。
 末社に柿本神社・稲荷神社あり。

 その後 『平成祭CD』
 然るに昭和二十年三月十三日の戦禍に遭遇し、社殿など一夜にして炎上したが、幸い御神体を奉安、祭祀をつづける中、たまたま大阪市の都市計画と盛土工事を機会に換地移転して神域を現在地に移し、昭和三十五年十二月、本社殿の造営がなり、爾後石玉垣その他の設備を整え、昭和四十八年六月、社務所の新築、境内植樹を竣えるなど氏子崇敬者の奉賛によって復興した。(昭和五十一年記)



本殿 木々に隠れている


お姿

 東向きに鎮座。木々が多く、本殿などは隠れてまっている。


お祭り
 
   10月 21日 秋季例大祭  

摂社 大海神社  柿本神社

摂社 稲荷神社

平成祭CD 三社神社の由緒と沿革

  三社神社は元禄十一年十一月(今から二八〇年ほど前)、現在の氏子地域(当時この地は九条島浦という海辺)の開拓者、伊勢桑名の人市岡与左衛門宗栄が埋立開拓工事の安全と成功を祈り守護神としてこの地に勧請し奉ったもので、日夜従業者と共に祈願をこめ、防波堤は波浪にさらわれるなどしばしばの災禍にも霊験あらたかであったと伝えられる。
 やがて工事の竣成と共に元禄十三年三月、市岡新田字十の割(現在の波除四丁目五番)に神域を劃し、社殿を建立して御神徳にこたえ尊敬の誠をささげると共に永久にこの地住民の守護神として奉斎した。
 爾来開発鎮護の神として居住者一般の崇敬篤く、江戸時代から明治、大正、昭和にかけて、この地の精神的結合の中心として生活の根源を培い、郷土発展の基盤となって氏子住民の繁栄をもたらすと共に神社も大いに興隆した。大正末期には参詣者の増加に伴い氏子各位の御発意と御奉賛によって神域を氏子地中央部に移すこととなり、大正十四年、新社殿の造営に着工、昭和二年、旧社地(弁天一丁目五番)に壮麗な神殿の竣工を見、盛大な遷座祭が行なわれた。次いで昭和十一年、参集殿兼婚儀殿の造営がなって境域は整備し神輿、鳳輦、御所車なども整い壮厳な夏祭神幸祭が行なわれ西大阪における敬神の霊場として社頭は殷賑を極め氏子各位の福祉とつながって愈々御神徳の高揚を拝した。
 然るに昭和二十年三月十三日の戦禍に遭遇し、社殿など一夜にして炎上したが、幸い御神体を奉安、祭祀をつづける中、たまたま大阪市の都市計画と盛土工事を機会に換地移転して神域を現在地に移し、昭和三十五年十二月、本社殿の造営がなり、爾後石玉垣その他の設備を整え、昭和四十八年六月、社務所の新築、境内植樹を竣えるなど氏子崇敬者の奉賛によって復興した。(昭和五十一年記)
 以上
 

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