住吉神社
大阪府豊中市服部南町2
交通
阪急 服部駅東800mmapfan
鳥居 参道は120m
祭神
表筒男命、中筒男命、底筒男命、息長足姫命
摂社
住吉龍神社(豊玉龍神社)、住吉稲荷社
由緒
創建は不詳。
住吉大社の別宮として建立され、8世紀末から暫くは、神崎川と猪名川に挟まれた当地付近の本宮の庶務を行っていたと伝わる。 これは八十島祭りに関係していたものだろうか。
鎮座地は秦氏の地盤であり、当社建立にも平安遷都に力を尽くした秦氏の影を感じる。
拝殿
お姿
近くの服部天神は阪急豊中駅内にも案内が出ている程だが、
この住吉神社はその規模、壮麗さなど服部天神を圧する雰囲気だが、実に静かに鎮座している。
社殿は大阪市北区に鎮座していた豊国神社(現在は大阪城内)の社殿に朱塗りを行ったものである。
日本最古の能舞台がある。明治31年建設のもので大阪天満宮にあったもの。
本殿
お祭り
10月14日 例祭
かっては鍋いただきの神事があった。
旱の年、雨を祈るに、其の年、村中に嫁ぎたる女の役として、鍋を頭にいただき、住吉の神に祈るを旧例とせり。されど其のかたちの見にくさをきらうとて、今はやみたり。
村老の年最高き者をして斎戒沐浴して、箕笠を装ひ、深夜神燈を滅し、神澱に進み鍋を蒙り通夜交る交る祈誠す。
必ず驗し」あらずということなし。 『大阪府全志』
住吉龍神社
由緒 平成祭礼データから
服部住吉神社略記
当神社の創建年代は明らかでないが、住吉大社(大阪市住吉区)の別宮として造立され、奈良時代の末から平安時代の初めにかけて、猪名川流域における本宮の社務を管理していたもので、社殿は平安時代の仁平二年(一一五二年)に本殿・鳥居・社務所などが再建されたという社記があり、天正六年(一五七八年)暮に、織田信長の荒木村重討伐のとき、兵火のかかって焼失し、やがて元和八年(一六二二年)に本殿・拝殿・神門などが再建されたと伝える。その後、昭和二十二年四月に、不慮の火災により悉く焼失した。現在の社殿は、昭和三十六年(一九六一年)に大阪市北区中之島にあった豊国神社が、大阪城内に移転のため、御社殿を拝譲し、当神社に移築再建されたのが、現在の社殿であり、以来二十年を経て昭和五十六年春、一部改修し、極彩色も鮮かに朱塗を施し、修造竣功された次第である。以上 |
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