今宮戎神社、今宮神社
大阪市浪速区恵美須西1-6-10 mapfan
鳥居
交通
南海今宮戎駅 東側 地下鉄恵美須町駅
祭神
天照坐皇大御神、事代主命
配祀 素盞嗚命、月讀命、稚日女命
摂社
乙姫稲荷社、大国社
由緒
市内屈指の有名な神社であり、一月九、十、十一日には凄ましい参詣人の数であり、容易に社殿には近づけない。
往昔は天王寺の鎮守であった。
社記には、推古天皇の時代、厩戸皇子の創建にして、後に慶長十四年(1609)に十八石強の社領を獲ていたが、明治になって無格社となった。
古来、この神は聾であり、祭礼に当たって、賽者はまず社殿後部の羽目板と敲き、大声で「参りました」と叫び、帰途社頭にて作物を笹に付したものを買う。これを家内や企業内の一所に挿して、富貴繁昌を願うのである。
拝殿
お姿
社域は千余坪、社殿は壮麗である。 南北に三所の鳥居がある。
神社裏門の北はもと星が池があったと云う。詳しい場所は不明。 所伝によれば、当郷耕作存亡の愁があった。蛭子神に祈ったら、悪星のなせる所なりと、これを防ぎ、悪星は鳴り落ちて池中に入ったと云う。
本殿
摂津名所図会
お祭り
1月 9(宵戎),10(本戎),11(残り戎)日 例大祭
平成祭礼データから
今宮戎神社の歴史
今宮戎神社は、天照皇大神、事代主命(えべっさん)外三神をお祭りし、その創建は皇紀一二六〇年(西暦六〇〇年)に聖徳太子が四天王寺建立に当たり、同地西方の守り神としてお祭りせられ、同九年春三月、太子自ら当社のご祭神に市の守り神としてお祈りせられたと伝えられています。
当社の鎭座地には平安中期に海の幸をととのえる御厨子所が設けられ、毎日宮中へ鮮魚を奉献していました。その後一時中絶しましたが、西暦一五五七年(弘治三年)四月十日に後奈良天皇のお言葉により復活し、明治初年まで、毎年正月にこの朝役を奉仕していました。また京都の八坂神社(祇園社)の祇園祭に、毎年「おみこし」を担ぐ人々をおくる神役が、一八六八年まで続きました。
一方、明治初年の神仏分離まで、九月十八日の祭礼に四天王寺の西門まで「おみこし」のお渡りと、四天王寺楽人による舞楽奉納の神事がありました。この神事は、平安末期、四天王寺西門に「浜の市」と呼ぶ市が立っていましたが、当時の市の習慣として、市には必ず市神を祭り、その市神に戎さんをお祭りしていた史実から考えますと、[浜の市」も当然市場の守り神である戎神をお祭りしたと思われます。そのお祭りに当社鎭座地の住民が関与したのが、そもそも四天王寺とのかかわりの始まりです。
このように「えびっさん」は市の守り神に祭られましてから、商売繁盛、福徳円満の守り神として庶民から崇敬されるようになりました。
江戸時代に入ると十日戎のお祭りが始まり、元禄時代には今日とおなじような祭礼となって今に伝えられ、毎年十日戎には、100万人以上の参詣者があります。
以上 |
公式今宮戎神社
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