井於神社
大阪府茨木市蔵垣内3-5-15 mapfan
鳥居と旧常楽寺の山門
交通
JR千里丘駅 北東500m
祭神
建速素盞嗚命、天兒屋根命、菅原道眞
摂社
八幡神社「須賀八耳命、八幡大神、天照皇大神、豊受大神」
大国社「大国主命、事代主命」
水神社「波爾彌須比古大神、美都波能売大神」
厳島神社「市杵島姫神」
皇大神社「天照皇大神、八幡大神」
由緒
もと宇野邊村に鎮座しており、井於はイノベとの訓みは地名と同じ。三所明神と称された。式内社。
創建年代は不詳。享徳年中(1452年〜)に当地に遷座している。天兒屋根命は永正年間(1504年〜)の勧請。
『大阪府誌』には井於の号と井於姓との関連ありかとしている。続日本紀に「丁未摂津国人正七位下甘尾雪麻呂賜姓井於連」なる記事をあげている。
当地の住人だったのかも知れない。
井於は井上などと同じく井戸や泉から水を汲むところを言う。山城国愛宕郡に出雲井於神社」などが鎮座。
祭神の建速素盞嗚命は織田信長対策(彼の氏神は津島神社)で祭神をそのようにしたのであろう。摂社の水神社こそ本来の祭神かと推測する。
この摂社の存在については『式内社調査報告』には何故か触れられていない。
本殿
水神社
お姿
かっては「老樹錯落して夏時最涼を納るるに適せり。」と形容された境内であったが、現在は周辺にまばらに生えている状態。
その境内の周囲に摂社が鎮座する。
境内と本殿
お祭り
10月19日 例祭
参考 『式内社調査報告5』 『大阪府神社史料』
『平成祭礼データ』から
井於神社由緒略記
創建年代は定かではないが、平安時代の初期(延長五年−西暦九二七年)に編纂された延喜式神名帖に「ヰノヘノ神社」と記載されていることから、千年以上の昔に鎮座されたものである。
当社は、もとは三宅村宇野辺に鎮座し、「井於連」が氏神として崇敬した井の神(即ち、水の神・泉の神)で、三宅郷の田畠の潅漑用水を守らせ給う神として、篤い信仰が捧げられていた。昔は、旱魃になると氏子の若衆が、藁で龍をつくりそれをかついで村中を巡り、終わって池中に投じて雨乞をしたと伝えられる。宇野辺という地名は、「イノヘ」の転訛したものと云われている。
当社が、現在の場所に遷座されたのは、享徳年中(一四五二年−一四五四年)のことであり、その後、永正年中(一五〇四年−一五二〇年)に三宅城城主・三宅出羽守国村公が、相殿に天児屋根命を勧請したと伝えられている。又、素盞嗚命を祀るようになったのは、織田信長の頃に兵火で焼かれるのを免れる為で、疫神牛頭天王社とすれば、牛頭天王を氏神とする信長は、これに手を出さないので祭神としたと伝えられている。
江戸時代には、主祭神・素盞嗚命、相殿・天児屋根命、菅原道真公の三社を合わせて「三所明神」と称していた。明治五年に郷社に列し、同四十三年九月二十八日、宇野辺の八幡神社(応神天皇)、鶴野の皇大神社(天照皇大神)、丑寅の皇大神社(天照皇大神)を境内に合祀し、今日まで三宅郷の産土神として篤い信仰を集めている。
以上 |
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