岐尼神社
大阪府豊能郡能勢町森上103番地-3 mapfan

鳥居

交通

能勢電鉄山下駅から能勢町宿野行きバス森上下車西へ



祭神

枳根命、瓊瓊杵尊、天兒屋根命、多田滿仲
配祀 天照大神、伊邪那岐神、伊邪那美神、豐受比賣神、速素盞嗚尊、中筒男神、綿津見神、大山祇神、宇賀御魂神、火産靈神、保食神、大歳神、大國主命、猿田彦神、金山彦神、應神天皇、小童命、八衢比賣神、櫛御氣野命、菅原道眞、源滿政



拝殿

由緒

 創建の年月は延暦暦元年(782)。摂津国能勢郡の延喜式内社。一座。
 祭神の枳根命は巫女と云われ、紀氏の大名草彦命の子、この大名草彦命は紀氏の祖である天道根命の五世孫、また武内宿禰の曾祖父にあたる。
 枳根命は三草山=美奴売山の神を奉斎していたと云う。『摂津国風土記』によれば、「美奴売山の神は神功皇后が新羅に遠征の為の船材の杉を提供し、自らも守護神として乗り込んだと云う。」。流石に紀の国の巫女のなせる業である。

 『摂陽群談』に、「社家説云、枳根大明神二座所祭春日神也」とあるが、この春日神を勧請した時期は不明。また祭神の天孫である瓊瓊杵尊はキネの名が呼び寄せた神のようであり、延元四年(1339)の瓊瓊杵尊の座像がある。
 多田満仲は多田源氏の祖であり、御家人が多い事は社勢に勢いがあったようだ。
 天文年間の合戦で社殿、旧記を焼亡したと伝わる。



覆殿の中の本殿

お姿

 杉の木を始め社叢は素晴らしい。鳥居をくぐると広場があり、その向こうに神殿が鎮座する。
 明治末期に近隣の神社を合祀している。今西字奥畑の九頭神社は小童命を祀っていた。
 形は合祀をしたのだろうが、山田村にも九頭祠があった。これは多田満仲公が退治したと云う九頭大蛇の霊だそうだ。 この祠は現存していた。探していた所、祠が鎮座している山の持ち主と遭遇、場所をおうかがいして発見、万歳。



九頭祠


お祭り
 4月 15日 例祭
 


『平成祭礼データ』
 岐尼神社 御由緒

 当社は其の創建の時代不祥なれども、延喜式に見えたる摂津國能勢郡岐尼神社にして、能勢郡神社仏閣由来に「嘉保二年二月乃西杵宮源政信建立」とあるは此時代に再建せしをいへるなるべし。乃をさかのぼる八百余年前、堀川天皇の時代に杵宮とも称せり。
 元亀二年十二月、織田信澄の乱入により当社は兵害に罹れること見えたり。其の後当地は慶長六年、太田和泉守の領地とする処となり、仝十年、領主太田和泉守手一の猪俣某を奉行となして枳袮社を建立せしと旧領主並に代々地頭役人記録に見えたるは、当社が再建の棟札に元禄五年十一月、枳根大明神旧記に見えたり慶長十年の再建は、即ち現在の社殿にしてその後百二十年を経て享保十二年に営繕をなせしことは枳根宮建立奉加帳の序及び仝年四月、枳根宮造営割付帳によりて推測せらる。明治四十年二月十一日、神饌幣帛料供進を指定された。
 以上
 

 

参考 『式内社調査報告』『大阪府全志』、『平成祭礼データ』

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