大仁八阪神社
大阪市北区大淀中3-1-23 mapfan


鳥居

交通

JR環状線福島駅 北北西600m



祭神


素盞嗚尊 配祀 天御中主神、天照皇大神、熊野大神

摂社
 稲荷社「九重大明神、清高大明神、一本松大明神」



拝殿

由緒

 創建の年月は建久年中(12世紀)で、統治は大仁村と呼称され、6世紀に百済国王から派遣された五経博士の王仁公に縁の地とされた。
 天変地異の七百年の星霜を経て、此の地を開墾中の里人埋没する大なる祀跡を発見し人々大いに恐れ畏み、速素盞嗚尊を奉祀し、鎮守の神として崇敬して連綿として今日に至った。
 天保六年に新たに神殿を造営して天照皇大神天御中主神二柱を相殿に合祀し、熊野大神豊受大神二柱も奉斎し神徳いよいよ燎かならしめた。

 西の鳥居を出て南へ少し行くと理髪店がある。そこに王仁博士の石棺が埋められており、一本松大明神が鎮座していた。王仁博士は南西200mの素盞烏神社に合祀されたようだが、一本松稲荷は当社に合祀されている。



本殿

お姿

 大正時代までは木柵や玉垣もなかったが、昭和天皇の即位大典の記念として鷺洲町より接続地と玉垣建設費の寄付を受け、社域は整備されたと云う。



熊野神社


お祭り

  7月 18日  例祭   

『平成祭礼データ』から



 案内 沿革
 神社の創立は不詳ではありますが、当神社は、室町時代の末期に、隣接の地がひどく荒廃していたのを開墾するにあたり、大半が土中に埋もれていた一神祠を発見し、その中に霊石があるのを見て人々恐れ畏こみて、隣接(現在地)の摂津国西成郡大仁村字王任の地が、やや高所であったので、そこにお祀りしたのがそのはじめであると伝えられています。
 古くは牛頭天王社(祇園社)とも伝えられています。 その後、延宝五年、青山大膳亮の検地の際、境内除地となり、その後も元禄十年、石原新左衛門検地、天保年間、築山茂左衛門検地の際にも共に境内除地となっています。
 この様に、古くから、この土地の鎮守、産土神として、時代と共に土地の名称は変わりましたが、大仁の里の氏神として、人々の尊崇を集めて、数百年続いて来ています。
 御社殿は、天保六年に建立されたものを、昭和十六年に、紀元二千六百年の記念事業として、氏子の浄財を集め改築されたのですが、わずか四年後の昭和二十年、惜しくも第二次世界大戦の戦火により、御社殿、末社、社務所等、一切が灰燼に帰しましたが、昭和四十七年、氏子崇敬者の人々の熱意により、現在の御社殿の完成を見たのであります。
   以上

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