久佐々神社
大阪府豊能郡能勢町宿野274-1 mapfan

鳥居

交通

能勢電鉄山下駅から能勢町宿野行きバス能勢町宿野下車東へ



祭神

賀茂別雷神
合祀 猿田彦命、大歳神、速素戔嗚尊、應神天皇



神門から舞台・拝殿

由緒

 創建は和銅六年(713)。摂津国能勢郡の延喜式内社。一座。
 宿野大明神、草々明神などとよばれてきた。
 『日本書紀』に、「雄略天皇十七年、土師連らに詔して「朝夕の膳部に用いる器(かわらけ)を進上せよ」と云われ、土師連の先祖の吾苟(あけ)が、摂津の国の久佐々村、山背国の内村、伏見村などに私有の部曲を奉った。これを名付けて贄の土師部と云う。」と記載があり、元々は土師部の祖神である天穂日命を祀っていたのではと考えられている。
 祭神の賀茂別雷神については、大宝元年(701)能勢郡司となった神人為奈麻呂が賀茂氏と同祖であることから祀られたものと見られている。

 境内に「一華草:セツブンソウ」と云う珍しい草花があったと云う。春になれば咲くようで、一花発くれば天下みな春を知る」と村人の諺にあったと云う。
 明治末期に近隣の多くの神社を合祀している。九頭森の九頭神社や曾我社(十郎祐成、五郎時宗)を移転合祀しているが、別に現存しているようだ。



春日造本殿

お姿

 本殿は安政九年(1780)の再建。
 銀杏の神木や大きい杉の木があり、社叢は豊か。
 長床があるのも珍しい。奉納芝居の盛況を今に伝えると云う。



長床と舞台


お祭り
 5月 16日 例祭



鳥居の横の珍しい石


『平成祭礼データ』
 久佐々神社 御由緒

 当社は和銅六年(七一三年)創建、延喜式内の能勢三社の一つの神社で官幣小社に列せられ、昔から大宮と称し、近郷の崇敬厚く、草々明神とも云われた。社名は古来から地名に因んで久佐々神社と称したが享保年間(一七二〇年ごろ)、宿野大明神と改め、更に享保十八年八月、正一位久佐々神社と復称した。
 地名の久佐々は「日本書紀」巻十四巻雄略天皇の条「摂津国来狭々村云々」と見え、「続日本紀」巻六元明天皇の条「玖左佐村山川遠隔道路嶮難、由是大宝元年始建館舎、雑務公文准一郡例云々」とあり、当社はこの館舎の地であり、郡司によって奉斎せられたものである。明治五年、郷社に列せられ、同四十一年五月、神饌幣帛料供進社の指定をうける。明治四十年、大字宿野、大里、柏原、片山、平通、下田の各神社をここに合祀した。
 以上
 

 

参考 『式内社調査報告』『大阪府全志』、『平成祭礼データ』

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