大阪府茨木市東太田3-5-32 地図 鳥居 交通 JR摂津富田または阪急摂津富田駅 北東1km
『日本書紀』の継体天皇の妃達から、継体天皇の出自の地を近江とする見解がある。例えば塚口義信先生。
これらの妃並びに皇子達は「三尾2」、「坂田2」、「息長1」、「三国1」、「酒人1」となる。 三尾は近江と越前にある。三国は越前で母親の地元、坂田、息長、酒人は近江、これらから見ると継体天皇と近江との関わりは大きい。即ちこの辺りの大豪族となっていたのではないかとの説である。 神社と云う観点から云えば、祭神を継体天皇とする神社は福井県に28社、滋賀県はゼロ。神社の祭神は『日本書紀』などを見て逆輸入されるケースはなくもないだろうが、それでもこの数は異常な感じ。 例えば、武内宿禰の母は山下影姫であり、和歌山の人のように記述しているのだが、和歌山には一社にも祭られておらず、北九州に四社鎮座している。これは武内宿禰の誕生の地は北九州だということを意味する。 継体天皇の母の振姫の場合、福井県に四社、滋賀県に一社となっている。 継体天皇の出自を近江とするか越前とするか、議論の分かれる所。
さて、この神社は宮内庁が継体陵としている太田茶臼山古墳の南東1km足らずに鎮座しているが、これは5世紀代の築造とされており、実際の継体天皇陵はその東にある今城塚古墳と見なされている。女九神社はその南西1.5km。継体天皇との関係よりは太田茶臼山古墳の被葬者との関係を見なければならないだろう。茨田連の古墳かも知れない。茨田の堤を築くのに成功した茨田連衿子など。
本殿 お姿
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