女九神社
大阪府茨木市東太田3-5-32 地図



鳥居

交通

JR摂津富田または阪急摂津富田駅 北東1km



祭神

女九姫


由緒

 祭神・由緒は詳ではない。
 『摂津名所図会』には、「土人曰 継体天皇崩し給ふ時十二人の妃の中九人殉死せられしを陵の傍に葬りここに祭りしとぞ其証不詳。」とある。
 或いは、継体天皇の元妃にして安閑宣化二天皇の母后目子媛に関係あるにはあらざるか。(『大阪府史蹟名勝天然記念物』から)
 社頭の掲示板にもほぼ同等の事が記載されている。

 『日本書紀』の継体天皇の妃達から、継体天皇の出自の地を近江とする見解がある。例えば塚口義信先生。
皇后:手白香皇女(たしらかのひめみこ。仁賢天皇の皇女)欽明天皇の母
妃:目子媛(めのこひめ。尾張連草香の女) 安閑天皇・宣化天皇の母
妃:稚子媛(わかこひめ。三尾角折君の妹)
妃:広媛(ひろひめ、黒比売。坂田大跨王の女)
妃:麻績娘子(おみのいらつめ、麻組郎女。息長真手王の女)
妃:関媛(せきひめ。茨田連小望の女)
妃:倭媛(やまとひめ。三尾君堅ヒの女)椀子皇子は三国公の先祖
妃:ハエ媛(はえひめ。和珥臣河内の女)
妃:広媛(根王の女)兎皇子は酒人公の先祖、中皇子は坂田公の先祖

 これらの妃並びに皇子達は「三尾2」、「坂田2」、「息長1」、「三国1」、「酒人1」となる。 三尾は近江と越前にある。三国は越前で母親の地元、坂田、息長、酒人は近江、これらから見ると継体天皇と近江との関わりは大きい。即ちこの辺りの大豪族となっていたのではないかとの説である。

 神社と云う観点から云えば、祭神を継体天皇とする神社は福井県に28社、滋賀県はゼロ。神社の祭神は『日本書紀』などを見て逆輸入されるケースはなくもないだろうが、それでもこの数は異常な感じ。

 例えば、武内宿禰の母は山下影姫であり、和歌山の人のように記述しているのだが、和歌山には一社にも祭られておらず、北九州に四社鎮座している。これは武内宿禰の誕生の地は北九州だということを意味する。

 継体天皇の母の振姫の場合、福井県に四社、滋賀県に一社となっている。

 継体天皇の出自を近江とするか越前とするか、議論の分かれる所。

 さて、この神社は宮内庁が継体陵としている太田茶臼山古墳の南東1km足らずに鎮座しているが、これは5世紀代の築造とされており、実際の継体天皇陵はその東にある今城塚古墳と見なされている。女九神社はその南西1.5km。継体天皇との関係よりは太田茶臼山古墳の被葬者との関係を見なければならないだろう。茨田連の古墳かも知れない。茨田の堤を築くのに成功した茨田連衿子など。



本殿
 

お姿

 西向きに鎮座、周辺は中高層の住宅や建て売り住宅も多い。北側に隣接して大きい駐車場があり、東側は公園、しかし大きく西に迂回をして、袋小路に入っていき、そのどん詰まりに鎮座している。


お祭り

 10月 11日  例祭   

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