『大阪府神社史料 大阪府全志』
築港遊園地は西区四条通り二丁目及び五条通一丁目に跨り、五千壱百五拾坪の面積を有し、明治四十一年八月大阪市の設置せし所なり。内に官幣大社住吉神社の末社住吉神社ありて住吉四柱神を祀る。社の旧地は天保町船溜場の南岸なり。已に記せしが如く天保町は目標山の成りしより漸次聚落を為したるも、その移住者は船乗業者又は漁業者なるのみならず、入津船舶の風波に害を蒙ること多かりしを以て、海上の守護神たる住吉大神を勧請するに決し、住吉郡住吉神社の橋本光忠に請ひて、天保十三年三月十八日同社の分霊を奉齊したるもの、即ち当社の起源なる。
社殿は目標山の上に建てられ、社頭に関する費用は全て大阪三郷の負担たりしが、元治元年台場の築かるるに及びて、船溜場の南岸に遷座し、其の頃より三郷の関係を離れて社費は天保町住民の負担する所となり、同町住民は産土神として仰ぎて崇敬し、明治五年に村社に列せられ、前記の由縁あるを以て、同三十九年九月十九日官幣大社住吉神社の境外末社となる。
同四十年十二月十日、靱中通二丁目の永代浜の無格社住吉神社「住吉大神」を合祀せられ来しが、其の敷地(官有地)五百十七坪は天保山運河の敷地に当たりて移転を要しければ、大阪市はこの遊園地に含まれたる五百坪を当社の移転地として官有に上地せる外、同所にて存続期間五百坪の・無償使用を承認し、且移転並びに営繕工事その他雑費として八千五百円を補償せしかば、、大正五年二月十二日許可を得て、翌三月十七日、当所に移転せり。依って遊園地中千坪は社域となりて、本殿。拝殿。社務所等を建設せらる。氏地は天保町のみなりしが、今は広まりて築港埋立地全部となり、例祭は七月十一日に行はる。例祭の前日より、本社住吉神社の御輿は此処に渡御し、一日滞留ありて、翌十二日還御せらる。同渡御は住吉神社の大祭たる北祭なると共に、当社の例祭に当たれるを以て、社頭頗る殷賑を極む。
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