長柄八幡宮
大阪市北区長柄中3-3-1

鳥居

交通

地下鉄天神橋筋六丁目 北北東1kmmapfan



祭神
 八幡大神
 配祀 大己貴大神、少彦名大神
 合祀 住吉大神

拝殿

由緒
   天禄元年(970)また永仁四年(1296)の創建と云う。慶長十五年(1610)片桐東市正が本殿、幣殿、拝殿を改築したと云う。

 口碑によれば、本社と表裏一体の関係ある社に、薬師堂があり、その創建年代不詳だが、往古より左側に南面して鎮座、民人は雷除けに霊験あらたかなりと崇敬していたと古老は伝える。 この薬師堂が相殿の出雲神社であり、大己貴大神、少彦名大神を祭神としている。

 住吉大神は大正三年にその敷地が淀川敷になるによって合祀した。

本殿

お姿
 木々が鬱そうとした下町の鎮守の森である。 出雲神社も住吉神社も本殿に合わせて祀られている様子。
 


お祭り
 
 10月17日 秋季大祭宵宮祭
 10月18日 秋季大祭

由緒 平成祭礼データから

 由緒
 本社は永仁四年二月、人皇九十二代伏見院御宇、山城国鳩峰鎮座、男山八幡宮より勧請創祀す。 氏地一円は奉祀日を弓の日と号し、又春祭と定め、休日とし、永くこの風を伝う。 御神体は今を距る六百九十八年前、即ち八幡神崇敬の最も盛んなる、鎌倉時代の特徴を表現せる、優秀にして、国宝的価値ありと謂わる、僧形八幡神像を安置す往時社頭に近接せし道路あり、この道牛馬車通行するとき、忽ち神威にふれ、前進するを得ず、引返して他の道へう回したりしと謂う。 口碑、本社と表裏一体の関係ある社に、相殿出雲神社(旧薬師堂)あり。 創建年代不詳と雖も、往古より左側に南面して存し、地方民は雷除に霊験灼かなりと、信仰せしと古老申伝う。
 これ鎮護国家を標榜して、諸国特殊著名神社に建てられし、神仏習合に依る神宮寺なりしこと明らかなり。
 本社相殿出雲神社(薬師堂)の存在を証するものに、享保三年、同七年、元文三年、延享二年、同四年、慶応元年、何れも検地図書に記載せられたり。
 御鎮座地長柄の地方は、往昔中津川、淀川の分岐点にありて、交通の要衝となり、早くより韓半島の文化を摂取、此地に居住するもの多く、中世にこの子孫と覚しき者の中には、豪華なる家軒を連ね、その当時を偲ぶに足る長柄長者の名は、多くの人の知るところなり。
 社地は慶長十五年、片桐市正検地に依り、境内地東西二十六間、南北三十三間、往古より無年貢の故を以て除地と定め、又寛永五年、代官豊島十右衛門検地には、三反十四歩、同除地、制札建有りと記され、元禄十四年己三月には、松林長さ四十間、横二十二間五尺、又天明八年も同上の如く記されている。 社殿の建替を記録するものには、明応九年三月十八日、文録三年、後陽成院御宇、宝永五年八月十二日、大正六年五月二十五日、四ヶ度に及べり。
 明治五年、村社に列し、同四十二年六月、大阪府公示第二〇三号に依り、幣帛供進指定神社とせらる。
 大正三年三月三十一日、北長柄村末広住吉神社合併。
 以上

南長柄八幡宮 大阪市北区長柄中1-4-25 mapfan
 

鳥居と拝殿    本殿
 

由緒 平成祭礼データから

祭神 應神天皇 配祀 宇迦之御魂神、佐田彦神、大宮能賣神 合祀 事代主神

 社号の起源

 当八幡宮は往古は水中八幡宮又は鶴ノ八幡宮と稱せられ多くの人々に親しまれた。
 難波八十島ノ地図(千年以上の古図)に南長柄村内に八幡社とあり、地名を以て南長柄八幡宮と稱する。

 往古の社の概要


 古老の申出によれば難波八十島の当時現在社殿より東方約五十米先、道路東側に境内地は三五二坪、東西二三間、南北一四間の境内があり、頗る幽邃な椋、榎、楠等の大樹が鬱蒼と繁茂する中、銀杏の大樹が最も大きく人測四抱余りありその中に現在の本殿に上屋があり西向に鎮座されてあった。
 夏の日行人の競って憩う處でもあったと云はれる。


 祭礼  8月15日 秋季例祭  以上

 

 『浪花の梅』に、この南長柄八幡の神木の松の木に鶴が巣をかけたと云う。『浪花の梅』の絵には多くの松の木が生えている姿が描かれている。

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