大阪府三島郡島本町広瀬 mapfan 社殿 交通 阪急水無瀬駅 北2km
小烏神社
広瀬神祠と小烏祠を上の宮、下の宮とよんでいた。 楠木正成正行親子の別れの「青葉しげれる桜井の里」は淀川と当神社の間に位置し、その際に代参が遣わされたと社伝に残る。 明治の神仏分離時、西八王子社、牛頭天王社の名を若山神社と改称した。 『若山神社誌』が発行されている。水無瀬神宮の水無瀬家の支配下ではないことを主張している。社に伝わる文書を返還するように裁判を起こしていたようだ。 さて、東八王子社または東天王社に当たる神社はどこだろうかと探して見たが、天王山の東側の方の字天王には自玉手祭来酒解神社が鎮座しているが、 現在の祭神は大山祇神のみとなっている。この神社は元々天神八王子社だったので牛頭天王も祭神にあるはず。 聖徳太子七歳の像(貞観時代のもの、9世紀中期)は社宝。 拝殿 お姿 付近一帯はツブラジイの林で、このシイ林をカシ林が取り囲んでいるような植生である。『大阪府全志』では次のように表現している。
本殿 三川合流
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