上宮天満宮
大阪府高槻市天神町1−15−5  mapfan

鳥居と石段

交通

JR高槻駅 北300m



祭神

菅原道真、野見宿禰、武日照命
摂社
野身神社「野見宿禰」ほか



野身神社


由緒

 正暦四年(993)太宰府の道真廟に参拝、左大臣正一位追悼の詔を伝えての帰路、この地で神輿が動かなくなり、占うと、菅神が告げるには、「この山上に祖廟がある。野見宿禰は菅家の祖である。」とあり、早速社殿を建て、左に武日照命、右に野見宿禰を配祀したと云う。
 この時代既に延喜式は公布されており、山上には式内社としての野身神社が鎮座していたと云うこと。

 野身神社は参道の石段を登り詰めるとすぐ右手に野見宿禰の塚と称される古墳の上に鎮座している。北向き。

 野見宿禰は当麻蹶速と相撲を取り、これを倒して蹶速の地を全て得たのが垂仁七年、皇后の日葉酢媛の陵墓に埴輪を考案しこれを殉死にかえた功績で土部の職についたと云う。

 野見宿禰の墓の伝承地
 兵庫県龍野町字日山 播磨国風土記に記載
 奈良県桜井市出雲
 当地
 などが語られている。

 式内社野見神社の論社として南1km(高槻市野見町mapfan)に野見神社が鎮座している。祭神は野見宿禰と素盞嗚尊、『大阪府史蹟名勝天然記念物』には「社伝によれば、宇多天皇の時、当国に悪疫流行し、国人悲嘆の折りから素盞嗚尊の神託あり、社壇を設けて崇敬せしかば悪疫終息し、民其生を安んじたるに始まるといふ。然れども、もとは牛頭天王と称したるものにして元禄二年(1689)の当社神主の社記には祭神三座、牛頭天王・八幡宮・弁財天とありて、野見宿禰なし。式内社の野見神社に擬せんとして野見宿禰を合祀したものにあらざるか。」として論社から退けている。

 

 高槻市野見町の野見神社
 



天満宮本殿 すべて境内の竹で出来ている。

天満宮のお姿

 標高48mの天神山は高槻市街を北から見守っている形。 石段の登り口の東に昼神車塚古墳がある。多数の埴輪が出土しており、さらに継体陵とされる今城塚古墳や宮内庁指定の継体陵である太田茶臼山古墳などの埴輪は同じ窯で作られたようで、土師氏が当地に滞在して古墳や埴輪作りに従事したようである。

 天神山からは銅鐸も出土。


お祭り
 2月25、26日 例祭



摂津名所図会 上宮天満宮

参考 『日本の神々3』『式内社調査報告5』 『大阪府神社史料』

公式上宮天満宮
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