(サムハラ)神社
大阪市西区立売堀2-5-26  地図



鳥居


交通

地下鉄中央線阿波座駅南東300m



祭神


サムハラ大神(天御中主大神、高産巣日大神、神産巣日大神)

由緒

サムハラの詞について
 サムハラの意味は造化三神の意味であって、産巣とは物の成育造化を表し、三神は全ての神々の親神で人類の大祖先であると共に無初無終全知全能で造物主である。また力の集合集積を表すと言う。

 サムハラは恐らくはチベットの伝説でサンスクリット語の「シャンバラ」によるものと思われる。 意味は、「幸福の維持・用意・収集・養育、静かで穏やかなこと、平和など」とされている。また「気」のエネルギーにもかかわるともされる。「宇宙森羅万象の気をととのえて、世のゆがみを正道にもどす」と言うことに通じるようだ。合気道の守護神ともされる。

沿革
 岡山県苫田郡加茂町大字中原899に鎮座する金刀比羅神社の境内に古祠があり、サムハラ様を祀っていた。大阪のサムハラ神社(当社)の初代主管者田中富三郎翁は中原の地に生を受け、サムハラ神の霊威に感得し成長し、長じて陸軍御用商人として日清・日露の戦役に従軍、度々の危難に遭遇したが無事に帰還できたのは、持参捧持していた「サムハラ様」の不思議の御霊徳によることとし、万人にこの御霊徳を頒たむものと念願し、昭和九年に故郷の「サムハラ様」の古祠の荒廃を憂い、再建を計画・達成した。
 大東亜戦争に突入するや、大阪師団司令部を通じ出征兵に私費にてお守りを作製贈呈し、今に至るまで当時のお守りを持って感謝の参拝をされる人達やそれを聞き伝えられた方々が多数おられることは御神徳の現れと言える。

 昭和二一年 岡山県苫田郡加茂町に再建。
 昭和二五年 大阪市中之島の豊国神社の鱗地にサムハラ神社を建立。
 昭和三六年 大阪市役所の増築により、現在地に遷宮。



拝殿

お姿

   都会の中だが、比較的静かな環境の中に西向きに鎮座、境内に合気道の道場が設けられている。

 大阪市中央区平野町4−6−10に平野町護符所がある。
 宗教法人サムハラ神社収益事業部があり、施設の名称をサムハラ神社平野町護符所と称する。施設の入り口前にはサムハラ神社の授与品(お札・お守りなど)が展示されている。



本殿


お祭り

  4月と0月 22,23日



浜木綿子さんの難を逃れたお話

 福岡市糸島市雷山626の雷山千如寺は、西暦725年に天竺の僧 清賀上人が開創したと伝えられている古刹で、聖武天皇(701〜756年)によって勅願道場となった。安産、子育て、開運厄除 等の祈願所として知られており、また身代りの御守り(サムハラ)のお授け所として大衆の信仰を集めていると言う。

 三重県の水屋神社の久保宮司さんが面白いことを書いておられる。
 意味も、読み方もわからず 父の代からの踏襲で水屋神社の御朱印帳に(サムハラ)と璽してきたが、このほどある人のおかげでようやく解明できた。サムハラとは 無傷無病、延命長寿の神として知られる。



水屋神社の御朱印

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