高浜神社
大阪府吹田市高浜町5−34



一の鳥居

交通

JR吹田駅南側 10分



祭神
素盞嗚尊
 配祀 天照大神、春日大神、住吉大神、菊利姫大神、不詳神二座(天火明命、天香山命)
摂社 布留御魂大神など

本殿風景(背後から)

由緒

  地元では「大宮さん」と呼ばれている。
 吹田は昔、次田連の一族の居住地であったことからの訛と云う。創祀は次田連がその祖神を祀ったことによるとされる。社名の高浜は吹田の別名とされる。淀川縁の微高地であったのだろう。

 『新選姓氏録』には吹田連(異本では次田連)は河内国神別に記載があり、火明命兒天香山命之後也、とある。 神社由緒書きでは吹田連は河内から当地へ移住したとされているが、吹田の東側には天照御魂神を祀る新屋神社が鎮座、また銅鐸が出土した奈良遺跡も近く、相当に古い神社かも知れない。

 摂津国の吹田連の名が『新選姓氏録』には見えない所から、その頃には吹田連は当地を去っていたのであろう。 吹田連の祖神を祀っていたと伝わるが、秘神ではなく、不詳二座とされているのは、新たな支配者(多分藤原氏)に遠慮したものかも。当地の地主神は天火明命と天香山命と云う。

 天平七(735)年行基が石浦神宮寺を建立、この時に当社に牛頭天王を勧請した。また貞観十一(869)年、播磨国廣峰山から山城国八坂郷への牛頭天王の遷座の際、当時は疫病が流行っていたので牛頭天王に悪疫退散祈願をおこない、小祠を建てて祀ったのを合祀したので、主祭神とされて祀られている。 神社の由緒書きには記されていないが、織田信長が畿内を席巻した際、多くの神社は信長の氏神の素盞嗚尊を祭神として破壊を免れたのであるが、その頃に牛頭天王宮と称し、主祭神としたのかも知れない。近所の神社も素盞嗚尊が多い。 それでも天正年間には戦火にかかり焼失している。

摂社群の内の布留御魂大神

お姿

  祭日でもない日の参詣だったが、広い境内には多くの車が駐車していた。 かっては高浜の杜と称えられた高浜松林であったようだが、大坂城建設に松の老樹が切り出されたと云う。 現在でも、社叢からは松林の名残を感じる。

 神社本庁未加入社。


お祭り

 8月 4日、5日 夏祭
10月 4日、5日 秋祭

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