止止呂支比売命神社
大阪市住吉区沢之町1-10-4its-mo



鳥居と拝殿

交通

南海高野線沢ノ町駅 東に出て南200m



祭神
素盞嗚尊、稻田姫尊

由緒
 式内社。創建の年代は不詳。

 『式内社調査報告』では、『日本書記神功紀』に、「時引儺河水欲潤神田而掘溝。及于迹驚崗。大磐塞之不得穿溝。皇后召武内宿禰。捧釼鏡令祷祈神祗。而求通溝。則當時。雷電霹靂。蹴裂其磐。令通水。故時人號其溝曰裂田溝也。」とあります。
 要は、神田に水をひこうと思ったが、迹驚崗で大岩が塞がっており、武内宿禰に命じて剣と鏡を捧げて神祇に祈りをささげたら、雷が激しく鳴り、岩を砕いた。
 とのことで、これが由緒になり、後世に創建されたと見ています。
 いずれにしても、「驚」ですから雷神と見ています。雷でオゾンが増すと稲作によいようですので、稲田姫を祭神にしいぇいるのかもしれません。

 若松宮と呼ぶのは、往年には、周辺は松林であり、その中に鎮座していたからとされる。後鳥羽天皇熊野御幸の道筋にあたり、天皇の行宮にあてるため、承久三年(1221)当社の松林の中に御所を作ったという。若松御所という。ここから当社を若松神社というようになった。

 摂社に天水分豊浦命神の名が見える。古来よりの鎮座の式内社である。明治四年住吉大社から独立、明治四十年に止止呂支比売命神社に遷座、境内摂社となっている。



社名碑



社殿

お姿
 あべの筋に面して鎮座。広い境内でごちゃごちゃしていない。その代わりに木々が多いとは言えないが一応周辺には植えられている。本殿は新しくなったようで、朱色が華やかに映る。
 東向きの本殿はの後側に後鳥羽天皇の行宮跡がある。今は南海高野線と隣接している。
 社殿の北側に霰松原荒神社が鎮座、式内社の天水分豊浦命神社である。



後鳥羽天皇の行宮の跡



摂社の天水分豊浦の命神社

お祭り
 10月 7日 例祭

由緒 平成祭礼データから

 止止呂支比売命神社
略記
御祭神[素盞嗚尊・稻田姫尊]
御神徳[素盞嗚尊ハ天照大神ノ御弟神ニシテ海原ヲ始メ給ヒ、高天原ヲ降リ給ヒテ後、出雲ノ簸ノ河ノ川上ニ八岐大蛇ヲ平ゲ稲田姫ノ危難ヲ救ヒ、姫ヲ妃トシ、出雲ノ国須賀ノ地ニ宮ヲ御造営、専ラ国土経営ニ尽サレ、貿易ヲ奨メ、遠ク朝鮮ヲモ御支配シ給フ。
「やくも起つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくる其の八重垣を」 右ノ歌ハ、我国短歌ノ濫觸ニシテ世人尊ヲ文武、航海、政治、厄除ノ神ト崇メ、姫ノ御高徳、御幸運ヲ慕ヒ、奇稲田姫ト称ヘ奉ル。]
由緒沿革[延喜式内ノ古社ニシテ仝神名帳ニハ止杼侶支比売命神社トアリ、古来真住吉国ノ氏神トシテ、斎キ奉ル、御創立ノ年代詳ナラズ。
承久三年後鳥羽上皇若松御所ニ行幸セラレシニ因ミ当社ヲ若松神社又若松ノ宮ト称スル様ニナリタリ。
止杼侶支比売命神社今ノ若松ノ社是也若松ノ廻リニ堀アリテ、ソレニ架タル橋ヲ止杼侶支ノ橋ト云フ、今俗ニ若松ノ宮ヲ牛頭天皇ト申ス(松葉記)
社地ニ轟池ト止杼侶支橋有云々(住吉神社社名記)中古住吉大社ノ摂社(奥ノ院)トシテ奉斎セラレ、当時ハ神社耳ナラズ寺観モ交ハリ立ケルカ(松葉記) 印判(経国神主袖判)
今度若松殿御社大風ニ破損仕ル、旨先ツ末社引キ直シ本社ニ可被用候、重而可有沙汰候、此ノ次手ニ本堂如法
経堂ノ修理モ可被仰付候条大工以下用意尤之旨被仰出候恐々謹言
安貞二年九月二日 正(正禰宜ノコト)
權禰宜下野前司殿
安貞二年ヨリ元禄十二年(松葉記ガ出来タ年)ニ至ル迄凡ソ四百七十年余今ヲ以テ考ヘ視レバ止杼侶支橋渡スベキ堀モナク末社寺院ノ旧跡モナク唯本殿一社ヲ存シ拝殿一宇ヲ造立スル耳(松葉記)明治五年村社ニ列セラル。
境内地(壱千弐百余坪)、本殿(住吉造)]
行幸[人皇八十二代後鳥羽上皇討幕ノ軍(承久三年五月討幕ノ院宣ヲ諸国ニ下シ給フ世ニ承久ノ乱ト称ス)ヲ起シ給ハント御熊野詣ニ名ヲカリ給ヒ浪華住吉ノ豪族津守一族ノ勢力並ニ大和河内ノ兵ヲオ集メニナラント墨江ノ里ニ行幸セラル時ニ承久三年二月四日当時神主田裳見宿禰ノ裔孫四十六代正五位下摂津守津守経国、其ノ弟権神主従五位下主殿頭樹新大夫国継相議リテ当社松林中ニ若松御所ヲ造営シ行宮トナシ渡御シ奉ル、時ニ上皇国家安泰御武運ノ長久ヲ祈ラセ給フ。]
社領[住吉社領ノ内七畝五歩ヲ本社ノ御供田ナリシヲ明治四年上地トナリタリ。] 特殊神饌[甘酒二瓶、沓形餅一枚一合百三十枚、茄子二膳二種高盛備筥子足付、筥子付足爲供物膳也(松葉記)]

祭日[春祭(鎮火祭)四月八日、夏祭七月十一日・十二日、例祭十月八日、冬祭(鎮火祭)十二月八日]
氏地[墨江各町、安立各町、浜口各町、住之江、西住之江各町、遠里小野、沢之、殿辻、千躰各町、高燈篭筋各町、御崎町、住吉川各町、清水丘各町、南住吉各町]

天水分豊浦命神社(境内社)
御祭神[天水分神・澳津彦神・澳津姫神・大国主命・事代主命(大国主命・事代主命ハ元敷津神社御祭神)]
由緒沿革[延喜式内ノ古社ニシテ霰松原歩王社又ハ荒神宮ト云ヘリ。祭神天水分豊浦命是神延喜式神名之分ニ有之神也左右ニ社祭神奥津彦神奥津姫神亦土ノ祖ノ神相殿ナリト云フ、右ノ三座之祭神ヲ以テ竃神ト云フ。朝廷ニ於テモ大炊寮内膳司ナド皆祭之俗ニ荒神ト云也。霰松原歩王神社ノ社地往古今ノ安立町三丁目ヨリ六丁目ニ至ル松原ノ処開テ田地ト成ル故ニ右町並之東西字七本松ト申田畠有之土地旧跡之由申伝候事(安政六年禾九月ノ旧書)。
荒神社安立町ノ地ニ在リ所祭二座大竃神(奥津彦神)竃殿(奥津姫神)ヲ勧請シテ相殿ニ祭ル也(摂陽群談)。
延喜三年癸亥五月十九日授摂津国荒々神授従五位下(日本書紀)。又曰ク荒々公ノ祖ヲ祀ル荒々公ハ任那国豊貴王ノ後也(摂津誌)。
元安立町五丁目ニ鎮座セシヲ明治四十年七月三十日境内社トシテ奉斎セラレ明治四十二年九月十八日遠里小野町鎮座無格社農神社、住吉鎮座無格社敷津神社合祀ノ許可ヲ受ケタルモ敷津神社耳合祀今日ニ至ル。
祭日[大祭、正月、五月、九月二十八日]
以上

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