伊射奈岐神社
大阪府吹田市山田東2-3-1

一の鳥居

交通

阪急北千里線山田駅 南東1.5km its-mo



祭神

伊射奈美命
配祀 天児屋根命、手力男命、天忍熊根命、蛭子命

摂社
稲荷神社、弁財天、天満宮、八王子社、八幡宮

拝殿


由緒
 延喜式神名帳では伊射奈岐神社二座とあり、論社の一社である。
 雄略天皇の時代に倭姫宮の示教により岡本豊足彦が二神を奉持して摂津国島上郡岡本郷に斎き祀ったが、兵火により焼失したと言う。 そこで当所に奉還し姫宮と称したとされる。 姫宮と言うのは佐井原に伊弉諾尊を祀るからである。 その後、仁壽二年(852年)高庭山に遷し五社宮と称した。 江戸時代に現社命に改称した。

『摂津国名所図会』には今五社明神と称す。と」ある。

本殿


由緒 平成祭礼データから

 当社は延喜式内社で、延喜式神明帳に「摂津国島下郡、伊射奈岐神社二座云々」とあ り一座がこの神社であって、千里丘陵の中間で万国博会場になった地域に隣接する高 庭山に鎮座している。
爾来、皇大神御霊と共に内裏に奉斎されていた豊受大御神の御 霊が崇神天皇の御宇、皇居を離れさせられ、後に丹波国与謝郡(現在福知山市)の比 治真名井に遷し奉られたが人皇二十二代雄略天皇即位二十二年、皇大神の御神誨によ り現在の伊勢市山田、高倉山麓の山田ケ原に遷座し奉られたとき、伊勢斎宮皇女倭姫 の御示教により、大佐々之命が、五柱の神を奉祀するべき霊地を諸国にもとめ、つい にこの山田の地に奉祀せられたと云う。
又山田と云う地名がこの様な処から山田原と 称し、伊勢山田から名を移したのであると伝えられている。
俗に姫神社とも称し、貞 観元年正月、従五位上を授けられ(三代実録、貞観元年正月の条に「二十七日甲申京 畿七道諸神進階及新叙惣二六七社云々、奉授摂津国従五位、伊射奈岐神従五位上」) 同十五年、社宮と改称されたと云う。
延喜の制に小社に列し、明治六年、郷社、祈年 月次新嘗の案上に預った名祠である。俗に五社宮、姫宮とも称し山田町、千里丘、千 里ニュータウンを含む産土大神である

以上


お祭り


道を下って山間に入ると拝殿や本殿の鰹木が見えてくる。と言っても千里ニュータウンの真ん中だから僅かに残った鎮守の森である。 「伊射奈岐神社一座」と彫った石柱が拝殿横に立っている。式内社の一座の意味であろう。
 拝殿横から本殿の写真を撮ろうと進んでいったが、それまでおとなしかった飼い犬がうるさく吠えだした。 どうやら宮司宅の飼い犬らしい。珍しい神社だ。
 写真は諦めて石段をおりると池の中に弁天様が鎮座、そこに烏が留まっていた。一瞬神の遣いかと思ったがすぐに飛んで行ってしまった。 人家の多い所の知恵ある烏であったようだ。

 狛犬があったが、どう見ても狛蛙に見えたが、やはり犬だそうだ。

狛犬 天保二年の銘



お祭り


 5月10日 春季例祭
10月 9日、10日 秋季例大祭

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