安井神社・安居天神社
大阪市天王寺区逢坂1-3-24
笠木の太い鳥居
交通
天王寺駅 北北西800mmapfan
祭神
少彦名神、菅原道眞
摂社 玉姫稲荷神社「宇迦之御魂神」、金山彦神社「金山彦神、金山姫神、淡嶋神」
拝殿
由緒
一心寺の北の安井神社は明治以前は安居天満宮と呼ばれていた。此処を安井と言うのは四天王寺七井の内の安井清水が社地にあるのを以て名とした。元々の祭神は少彦名の神であるので天神社と言った。
何時の頃か等か、この地は菅原道真公筑紫に左遷の時、暫し安居給う旧跡として、天満宮となし安居と言うようになった。
お姿
神社背後を天神山と言う。安井森とも言い、風景の美しい所。鳥居の笠木の太さにビックリ。上町台地の途中に鎮座、境内は木々草木が多く、渡海のオアシス。
真田幸村の終焉の地の碑がある。元和元年(1615)大坂夏の陣の戦いで、5月7日、伊達政宗の軍と戦い、天王寺付近で松平忠直の軍を迎え奮戦したが、ついに当社境内の一本松の下で戦死した。時に49歳。
真田幸村の終焉の碑
本殿
お祭り
4月 25日 例 祭
摂社 金山彦神社と玉姫稲荷神社
摂津名所図会
由緒 平成祭礼データから
当神社は、茅渟の海(大阪湾)を遥かに見下ろす景勝の地にある。その創建の年代は古文書の散逸せるため詳らかでないが、聖徳太子が四天王寺を建てられた頃であろうと伝えられている。
菅原道真公が、筑後に左遷されたまう道すがら当境内にしばし安居された(憩われた)という旧址の縁を以て、公の没後40年を経て天慶5年(西暦942)ここにその神霊を合祀されたまうことはいみじくも畏いかぎりである。当神社のご神徳を蒙った多くの人々の中でも大丸の業祖、下村彦右衛門正啓居士は享保11年(西暦1726)、この難波の地に於いて開店するに際し社殿を修築し、又境内地拡張のため敷地を寄進するなど、奉賽の誠心をささげられたのである。爾来歴代大丸店主の当神社に対する信仰は極めて篤く、世に大丸天神と称せられる所以である。
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