住吉神社(須牟地神社)
大阪市東住吉区湯里4-17-14

交通

近鉄南大阪線矢田駅東10分  mapfan

鳥居



祭神
中筒男命
摂社
 竹生島神社「市杵嶋姫命」、稲荷社「宇迦之御魂命」、楠社「楠大神」

由緒
 摂津国住吉郡の天神に鎮座する中臣須牟地神社の地域が河内国丹比郡に編入されたので、当地に須牟地神社の祭神の一座を勧請し、当初は須牟地神社を名乗ったと言う。
 『東成郡誌』には伝説として、神須牟地神社と唱えていたと言う。

 『住吉大社神代記』に須牟地の神について下記の記述がある。
 (これらについては網野品氏の『湯里住吉神社の歴史』をベースに発展させて以下に書く。)
 中臣住道神(須牟地)
 住道神
 須牟地曾禰神
 住道神
 件住道神達八前 天平元年十一月七日依二託宣一移徒坐二河内國丹治比郡楯原里一。故號二住道里住道神一
 赤留比賣命神(中臣須牟地神、草津神)
 とある。中臣住道神は中臣須牟地神社
 次の住道神は神須牟地神社
 須牟地曾禰神は現在は堺市の須牟地曾禰神社
 その次の住道神については網野品氏は不明とされる。表現からは神須牟地神社のことであり、遷座以前の同社であろう。磯歯津道は水害の影響で変わっており、それに従って須牟地神も遷座しているようだ。一時的には須牟地神社とも呼ばれたことがある当住吉神社の地であったのかもわからない。
 楯原の里には式内楯原神社が鎮座、摂社の竜王社には赤留比賣命神が祀られているが、おそらく須牟地神と住吉神との関連から見て、現在杭全神社の摂社となっている赤留比売命神社(三十歩社)を指しているのではなかろうか。次の一行には中臣須牟地神の名しかないが、これは渡来人への神酒を賜った場所であり、その神酒は中臣氏が醸造したものであろうから。

 当住吉神社は天正・慶長の兵火で社殿・旧記は焼失したと言う。

 

拝殿


お姿
 きれいに整備されている神社。参集殿も大きい。 『東成郡誌』には「境内広からざるも樹木繁茂し幽寂たる一区をなす。」と形容されているが、現在も清々しい境内である。


お祭り

 7月31日 夏季大祭

『平成祭礼データ』

由緒

 創建の月日は詳ではない。伝えられる所によると住吉当区の天神山という所に須牟地神社があったが、そこが、河内国に編入されたため、社も同国の所属となったので同社祭神中の一座を当地に勸請。須牟地神社、住吉二の宮、湯屋島住吉などとよばれたのが、当社の起りである。明治五年、現社名に改められる。
  以上

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