剱山本宮
阿波国 麻殖郡 徳島県美馬市木屋平字川上カケ1

宝蔵石神社の磐座

交通
JR貞光駅 タクシー 見の越(15k¥) mmapfan見の越

祭神
素盞嗚命、安徳天皇、大山祇命
構成する神社群(摂社)
剱神社(宝蔵石神社)
大剱神社
枝折神社
剱神社(見の越)ほか

由緒
   剣山は標高1955mの四国第二の高山、本宮を構成する神社は頂上付近に分布、殆どは巨石を信仰の対象としている。 修験の行場でもあった。

 平家の落人伝説の中でもこの剣山には安徳天皇を奉じて落ちてきた話が残っている。
 安徳天皇は治承四年(1180年)六月、都を摂津国福原に遷し、次に兵乱を避けて讃岐の屋島より壇ノ浦に遷り、崩御と称して平国盛(教盛の子)等は伊予国大三島を経て山路、阿波国祖谷に遷るも、源氏の追尾を思い図り、遂に麻植郡木屋内裏村に行在所を定めた。
 世に言う三内裏とは、摂津福原、讃岐板屋、阿波小屋とされる。
 源氏の盛大にひき替え、平家が逆境を挽回せんと、四国太郎山(石立山)の不思議の池に安徳帝の御剣を天に奉じて武運長久の御祈願を行い、山の名も剣山と改称した。 そこに神社を建立し、御剣の神霊である素盞嗚尊を祀った。後世、安徳天皇を合わせ祀った。

 さて、三種神器とは、伊勢神宮の鏡、熱田神宮の剣、皇室内の勾玉であるが、鏡と剣の模造品が崇神期に造られて、勾玉と共に、天皇の王の位の象徴としての儀器となっていたとの伝承がある。
 義経の水軍が壇ノ浦へ平家を追いつめた際、安徳帝と共にあった三種神器のうち、鏡はそれを持っていた女官を源氏の兵がおさえ、勾玉は海面に浮いていたが、剣は発見できず、これが頼朝が義経を攻める口実になったとされている。
 これが剣山山頂に奉じられたとの伝承が剣山に伝わっていると云うこと。結局、源氏も三代で滅び、平氏の端族の北条氏に政権は移る。

 神剣を奉納した神社の背後は巨石であり、宝蔵石という磐座であるが、さざれ石風であり、大剱神社の磐座とは全く石質が違うようだ。この巨石の下には平家の軍用金などが埋蔵されていると云う。

 とんでも説としては「ソロモン王の秘宝」の埋蔵説がある。山頂付近にソロモン王が莫大な宝物を埋めたと云う。戦後も何組かの人々が平家の馬場と呼ばれる山頂周辺を掘り起こしたが、見つかっていないようだ。
 同行二人のお遍路さんの八十八ヶ所巡りのコースはあまりにも有名であるが、そのコースからは剣山の山頂は見えないようだ。もうじき見えると云う所で曲がってしまうとか、これは空海がソロモンの秘宝を知っていて、わざと山頂を隠したと云われる。

お姿
   リフト乗り場は見の越といい、ここに先ず剣神社が鎮座、山頂に比べれば里宮であろうが、標高1400m。剣山への登山口である。

見の越の剣神社

 リフトに乗って15分、足下にはニッコウキスゲが美しい。

ニッコウキスゲ

 リフトを降りて、左手の道を登り始める。15分ほどで安徳帝刀掛けの松があった場所に到着。まつは既に枯れてしまってない。 猿田彦命を祭る枝折神社が鎮座。

枝折神社

 ここから左手に下っていくとキレンゲショーマの群生地があり、その向こうは修験の場である。

キレンゲショーマ

 刀掛けの松の跡地から直線的に頂上へ向かう。30分程度で剣山本宮の鳥居と茅輪ならず稲輪が設置された宝蔵石神社が見えてくる。神官が駐在しておられた。

宝蔵石神社

 大剣神社の方へ廻る。とてつもない磐座が立っている。

大剣神社

大剣神社

お祭り
 7月 17日 1日間 例大祭


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