健御名方富命彦神別神社
長野市大字長野字本城東2411  its-mo



鳥居


交通

JR長野駅 北1km



祭神

健御名方富命
摂社 木匠祖神社「聖徳太子命」、千幡神社「千幡大神」


由緒
 延喜式の水内郡の名神大社である。水内等
 『日本書紀』持統五年(691)八月「使者を遣わして龍田風神、信濃須波・水内等神を祭らせた。」とある水内神とは、当社のこととされている。
 かっては善光寺境内に祀られ、「年神八幡宮」と言われていた。統治は金刺氏の有力な一族の居住地で、古来、水内郡の中心であった。式内論社が他に二社(上水内郡信州新町水内の旧郷社、飯山市五束の旧県社)あるが、この辺一帯を一望できる高台であり、鎮座場所としてはうってつけ。
 祭神は健御名方富命となっているが、まず、は健御名方命でいいのだろうが、何故、「富」がついているのかが問題である。「富」とは、蛇(神)を表すと思われる。出雲での健御名方命はこの名前のみでだり、信濃では、そこその「富」「刀美」がつく神名になっている場合がある。信濃のミシャグチ神やモレヤ神と言う蛇神に対応する蛇神となったのであろう。

 また、神社名の健御名方富命彦神別神社とはどのような意味だろうか。健御名方命の神子神と言うことであり、健御名方命の荒魂ともいえる神格であろう。それ故、『紀』の「信濃須波・水内等神」と諏訪神と水内神とを祭ったのであろう。


拝殿

お姿 

 大雪の中の参詣であった。善光寺の東側に東山魁の美術館があり、その東側に鎮座する。
 明治十七年に社殿を新造し、御柱祭が行われた。また、明治十一年に明治天皇が北陸御巡幸の際、九月九日に当地にこられ、川中島古戦場を望まれた。昭和九年記念碑を建てた。


本殿


お祭り

  例大祭  9月 9−10日

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