御社宮司神社


 信濃国諏訪郡には御社宮司神社が数多く鎮座している。端的に言えば字毎に一社と言えそうだ。淫祠邪教の類とされる。
 呼称は、御社宮神、御社宮司、社宮司、狭口神、左口、三社口神、左久神、御三宮神、座護神、射軍神、三社宮神、尺神、曲口、社雲神、社軍司、護神、左軍神、左口神、作神、おしゃも神、お杓子神、おしゃくしさん、おしゃもじさま等。
 祭神はサルタヒコ、アメノウズメ、保食神、お産神、産土神、役除神、諏訪明神御子神など。御神体は石棒・石皿・石臼・男根石・立石状自然石などが多いが、祠の無い神社も多く巨木であって、シャクジの木、ミシャグジの木と呼ばれている。石器の場合は縄文中期以降のもの、また鎮座地も縄文遺跡の場に近い。はるかに遠い時代からの神々を祀る神社である。

 この神の素性については、柳田国男翁を始め多くの碩学がそれぞれの説を発表して来たが、決定的なものはない。それはあたりまえのことで、誰も判断基準を持ち合わせていないからだ。代表的な説はSK、SGの発音から、境の神として疫神などの侵入を止める神で道祖神のようなもの、この説は信濃に両方とも濃厚に祭られていることからもある程度納得できるところがある。また、SKから裂くを発想し、土地を耕し、豊穣を祈る神との見方がある。いささか後付の説のようにも思われるが、これにも一理あるようだ。なんとなれば、道祖神の男女ペアの神の姿は、性交を覗くことへの遠慮があり、これは疫神の侵入を防ぐ意味があり、もう一つは疫病で人々が死ぬことへの対抗は子を生むことで、豊穣に通じるから。

 建御名方神に洩矢神が敗れて以来、洩矢神の末裔として、諏訪大社の祭祀を司って来た守屋家は神長官として七十六代に渡って祭祀の秘儀・秘事を伝えて来た。明治維新後、世襲の神官の廃止などもあってその後の相伝が衰え、加えて七十九代現当主は女性であり守矢家の秘儀は絶えてしまった。守矢長官屋敷跡に神長官守矢史料館ができ、一部の祭祀道具などが伝わっている。屋敷跡の西南最上段に、御頭御社宮司総社が祀られている。守矢家の最も大切な信仰対象であった。
 『お諏訪さま』(勉誠出版)によれば、敗れた洩矢神は縄文(中期)以来の自然神であるミシャグチ神を束ねていた神のようだ。

 諏訪の神は建御名方神であることには違いないが、諏訪湖周辺にこの神の気配はない。村々に鎮座する小さい御社宮司神社が存在感を発揮しているようだ。縄文・弥生期の遺跡に近い場所に鎮座している場合が多いと言う。
 ミシャグジ神は石や木や蛇に降臨する自然神であって、元々は荒ぶる神・塞の神・性神・豊作神と様々な神格を持ち、人々は全てをこの神に祈ったのであろう。アラハバキの神も同じ様な存在だったのだろう。



御社宮司神社 茅野市ちの上原 
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交通 バス 頼丘寺下 西

森への入り口 小祠
 

四柱で囲まれた小祠





御社宮司神社 諏訪市湖南北真志野 
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交通 バス 蓼宮橋 西

祭神 御社宮司神

 最も原始的な信仰として土地の精霊を祀り、先祖神・生産神・豊穣神の性格を持つとされている。
 かっては諏訪大社の御頭祭と深いかかわりあいを守っていた。蓼宮社の管理。

四柱で囲まれた小祠





南方御社宮司神社 諏訪市大字湖南字大熊 
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交通 バス 大熊 西

祭神 御社宮司神

 鎮座年月は室町時代より遠く上代で諏訪神社御頭神役を勤める。江戸初期慶長十九年()、高島藩主諏訪頼水は、諏訪郡を十五の親郷に区分し、各親郷に枝郷を附属し、十五年に一度諏訪神社に勤仕する制度を定める。上金子郷に限り、親郷として十五年に二度勤仕する事を規則とする。
 社殿は上代より、慣例により御頭番の節八年毎に改築する。又古来より境外所有地二反四畝余の作得収入を祭典、営繕費に充てる。
 以上明治二十八年六月十三日付の古社取調上申書の要約である。御頭とは当番のこと。

 御社宮司神は御左口ノ神、御作事ノ神ともいい、自然信仰に基づく稲、土地の神として崇められて来た。この神を祀るのは大変古くから拓かれた村であることを物語っている。

 諏訪大社の祭神建御名方富命と云う人格神が祀られたのは7世紀初頭である。
 室町時代以降、戦乱が続き、諏訪大社への御頭奉仕が乱れており、慶長十九年(1614)高島藩初代藩主諏訪頼水は神使御頭役を新たに諏訪郡を十五郷に分けて親郷とし、他の村々を枝郷として配属し御頭役を勤めるように定めた。上金子郷は十五番一巡のうち二回親郷として御頭役を勤め、南方北方両社御社宮司社が交互に奉仕した。故に当村には南方、北方の御頭御社宮司社が存在していた訳である。これは広大な耕地と大きな財力があった証である。

昭和五十一年に遷座した。




御頭御社宮司神社 諏訪市中洲上金子 
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交通 バス 上金子入り口 東

 御頭御社宮司神社が鎮座していたが、明治維新後、南方御社宮司神社に統合され、残ったのは子安神(お犬様)で、安産の神として崇められ御柱祭毎に建て替えられている。

鳥居、社域
 




北方御社宮司神社 


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