平成祭礼データ
手長神社略誌
鎮座地長野県諏訪市大字上諏訪字茶臼山
祭神 手摩乳命
創祀年代宏遠神代の鎮と称され時に手長宮、手長大明神、下桑原鎮守等称えまつる。古来武門領主の崇敬一般衆庶の尊信篤く高島城の艮に当り総家中の鎮守下桑原郷の産土神にましまし旧藩時代多額の免地を社領せらる。
1の鳥居総高30尺、開18尺、木曽読書村三留野駅字和合の木曽川河敷にありし花崗岩を割り採り大正15年7月建立。
社名碑鳥居と同石総高20尺、氏子筧克彦博士揮毫筧博士の和歌2首、弥栄の手長の御代のみ守りとしつまりいます貴の大神、天地のさやけき国のその中に別きて明やけきくにはこのくに。
詣ずるに1の鳥居より230階の石段による境内3層をなし、上層は最神厳の域にして大神の鎮座まします聖地、中層は拝殿、渡殿、神饌所等立並び神聖の域にして祭事を行い、参拝者の賽する所、下層は自由の区域にして神楽殿参篭殿社務所斎館宝蔵等を建つ。
御本殿、表間2間妻間9尺。祝詞殿、表間9尺。妻間9尺用。材木曽産檜屋根銅板葺神明造り。昭和29年6月15日焼失同30年御建替。正拝殿、天明8年御建替流破風4棟造用材欅彫刻桝組廻橡高欄付格天井銅板葺屋根。棟梁は当代の名称立川和四郎富棟彫刻の美精廉の刀克くその真を刻す。
大祭、例祭古式祭、夕祭、9月14日。本祭、9月15日。二の祭、9月16日。祈年祭(春祭)、3月19日。新嘗祭(秋祭)、11月22日。中祭、歳旦祭、紀元節祭(建国記念祭)、小祭、月次祭、毎月1日。其の他、鎮火祭、入学児童祈請祭、厄除祭、七五三祈請祭、氏子弥栄祈請祭、斎田祭、
境内神社神明社外17社、氏子数、5000戸
境内面積三千坪、目通り1丈以上の巨木17本、5尺以上42本蓊欝と茂り、労して社頭に詣ずれば心気澄み敬虔の念自ら湧く優秀なる神域にして、諏訪市街を真下に諏訪湖の仙波手にとる如く盆地を一眸に遠くは鉢伏より守矢の連山を越えて日本脊梁の諸高峰の勇姿を指摘し得べく、四季の眺望絶佳の霊地なり。
式年御柱祭、寅年申年の7年目毎に行う氏子総出仕にて奉仕する大祭である。神社所有御柱山より伐採約4粁の山道を曳行(えいこう)氏子区域内を回曳して2日目の夜間に表参道たる230階の石段を曳き上げ所定の位置に曳きつけ翌日建立の上御柱固めの祭事を奉仕して後御柱建立の奏上祭を行い御柱祭の行事を終る。猶この祭には神賑行事として境内及外氏子区域内の3、4ヵ所に芸術味豊の飾物を行う。
由緒記(掲示板)
当社は、古くは手長の宮、手長大明神の名で奉賛され、特に高島城(諏訪湖の浮城)の艮に位置するところから、諏訪藩家中の総鎮守として崇敬をあつめた。
祭神は手摩乳命で、山岐の大蛇退治の神話にある櫛稲田姫の親神にして、諏訪大社御祭神建御名方之命の曾祖母に当たると云う。
社殿は天明2年(1782)立川和四郎富棟作、神紋梶の葉、建物、本殿神明造り、拝殿、流れ破風造り、神楽殿、神饌殿、社務所、境内、(3000坪)
例大祭、夕祭9月14日。本祭、9月15日。二の祭、9月16日。式年御柱祭、寅年と申年の7年目毎
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