千鹿頭神社
諏訪市大字豊田字宮垣3903  mapfan

鳥居


交通

バス 有賀下村峠入口 北西へ



祭神

内縣神


拝殿


由緒
 浜南宮千鹿頭大明神と称し、建御名方神の御子神を祀る。
 建御名方神は科野(信濃)の開拓にあたり、この地に離宮を営み、開拓達成の後に県を定め、当地付近を内県とした。鎮座地一帯の小字は、東を宮垣外、西を宮の脇、南を宮の上、北を宮坂といい、すべて宮にからむ地名で、いかに神社の規模が広大であったことを示している。
 また、近くに鐘鋳場屋敷と云う地名があり、ここで鋳た大鐘は上社外苑の普賢堂の鐘楼に伝わり、名鐘であったとされている。

 千鹿頭の訓について、嘉禎年中(1235〜)の奥書を持つ『根元記』には、「有賀郷にチカト、上原郷にチカト、埴原田にチカト」とあるが、現在はチカトウと発音されている。また上原の千鹿頭神社の古記録には、「古代神楽歌」として、「千鹿頭の北の林の鈴虫は鈴虫は八千代の声で常にタイセヌ 千鹿頭の明神ウレシトヲホスラントヲスランユキタタイマノ花ノキヨメヨ」とある。

 『谷川健一著作集T』「不死と再生の象徴(蛇)」に、「洩矢神の三代目の神を祀る千鹿頭神社が信州、関東、福島などにひろく分布している。この千鹿頭神社をたんねんに調べた今井野菊氏によると、千鹿頭が訛って都々古別(つつこわけ)となっている神社がかなりまじっており、その祭神はアジスキタカヒコネとなっている場合が少なくない。アジスキタカヒコネが蛇体の神であり、「ツツ」(筒)ということばが、古語で蛇を意味する以上、守矢という諏訪の専従勢力の奉斎する神はおそらく蛇神であったろうと私は想像する。縄文中期の蛇の装飾土器を思い出すものにとっては、こうした類推はきわめて自然な道すじと考えられる。」とある。


本殿

お姿 

 当社は赤石山脈有賀峠越えの、古代の鹿、猪の狩り場の入り口に鎮座し、古くは諏訪上社御頭祭に用いる鹿は当社で整えたと云う。


お祭り

  4月8日に近い日曜日 例大祭


社域


神奈備にようこそ