神奈備別荘 平成十七年 一月 投稿者の敬称は略します 題名:横野神社合祀の巽神社(河内国渋川郡邑智): 9月 30日 投稿者:いこまかんなび
東播地域の住吉詣での写真もシツコイようなので少し休憩いたしまして、和気清麻呂水路の北、仁徳天皇13年に築造されたという「横野堤」に護られた旧河内国渋川郡の邑智(大地村=現在は大阪市生野区巽南の内環状道路東側)に鎮座し、堤近くに鎮座していた横野神社を合祀・祭祀している"巽神社"と、横野神社旧跡の写真を紹介します。
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御由緒
当社は旧河内国渋川郷大地大地村にあって八幡神社と言い、創立年代は明らかでないが当地の地名を大地と称えるのは和名類聚抄に邑智の事は明らかである。
沿革
例祭日 7月15日 夏大祭
末社 豊川稲荷社 塞神社 八街彦・八街姫姫・久那度神
神紋 橘 -----------------------------------------
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:9/30 横野神社の件で『式内社調査報告巻四』に説明文があるのですが、どうも盗作のようで、これについては地元の郷土史家な方も憤慨されていました。 http://kamnavi.jp/en/kawati/tatumi.htm 題名:穂高神社の保食社: 9月 26日 投稿者: 言蛇
神樹シリーズで穂高神社に祭られる欅の樹です。樹の側には末社の保食社が鎮座しています。 川端康成、井上靖、東山魁夷がそれぞれ夫婦お揃いで参拝された際、その若葉繁る欅の木見て絶賛した木です。このサイトで男女の機微にふれる場合は「雪国」くらいの節度と正確さ、万葉集の素直さは欲しいところですね。
明日は穂高神社の御船祭りが最高潮です。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:9/27 関西から遠いわけでもないのですが参詣のきっかけの少ない神社ですね。 上高地は何度か行っているのですが、神社に関心のすくない若い頃でしたから、見ていても記憶に残っていません。
題名:槍ヶ岳: 9月 26日 投稿者: 言蛇
氷河公園と呼ばれる場所から撮影した槍ヶ岳です。
富士山の世界遺産活動ですが、「富士山を世界遺産にする国民会議」の小田宏さんによりますと5合目から上にゴミをおとす人はいないそうです。世界遺産には自然遺産と文化遺産があるのですが、富士山は動植物の生態系の面で自然遺産認定に届かせるには厳しいとのこと。富士山にちなんだ高山植物とかを耳にしないことに気付けば納得できることと思います。 私の前回投稿あたり、三輪山から怪しい空気が流れてきたので三輪山にまつわる好きな和歌を引用させていただきます。 「三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや(万葉集18)」 題名:川會神社(長野県北安曇郡) : 9月 26日 投稿者:言蛇
綿津見命にまつわる投稿が続いている様ですので安曇村の川會神社を紹介します。 住所は長野県北安曇郡會染村十日市場で祭神は底津綿津見命。
景行天皇12年の草々にして延喜式内名神小神社です。
境内には内山真弓の歌碑があり下記の歌がのこされています。
題名:薄雪草: 9月 26日 投稿者: 言蛇
こんばんわ、前回の投稿からアルプス稜線散歩にでかけていましてレスが遅れていましたが宿題にぼちぼちレスを返しますのでよろしくお願いします。
神奈備さまの曼珠沙華の写真へのレスです。
(http://www14.oekakibbs.com/bbs/kotohebi/oekakibbs.cgi) 題名:加古川-畑谷川支流の住吉神社1 (西脇市上比延所在) : 9月 23日 投稿者: いこまかんなび
日替わりの、しつこい播磨住吉神のご紹介です。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:9/24 御由緒
現鹿野町の南方なる龍ケ峯に大阪の住吉大社の分霊を勧請し其後社殿を山麓に移転し弘安二年二月更に今の地に遷座す、天正九年豊臣秀吉より御供田二反を寄進せられ慶長五年池田輝政之を安堵する等、武将の崇敬を受くる、寛文二年八月二十一日四社並に二末社拝殿の修理を経て、今日に至り、寛政七年青蓮院尊眞法親王より御自筆の神號を寄せられる。
題名:三草川流域の住吉神社1 (加東郡社町牧野): 9月 23日 投稿者: いこまかんなび
続いて、社町牧野にある住吉神社の紹介です。東北の御所谷から流れ下ってきた三草川の流れは、社町で中国道沿いに西流してきた千鳥川と合流し加古川に入ります。
題名:東条川流域の住吉神社1(三田市大川瀬): 9月 20日 投稿者: いこまかんなび
次は、東条川を少し南西ヘ下り、広い田園が広がる東条町秋津にある住吉神社です。
○鎮座地-兵庫県加東郡東条町秋津(来年3月に加東市)
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:9/20
播磨国賀茂郡の式内社の住吉神社の論社としては、『式内社調査報告』によりますと
秋津の住吉神社は森神社との俗称もあったようです。もともと恒田神社だった。そこに隣接の森字合の本にあった住吉神社が火災に遭い、ここに合祀されて、住吉神社と呼ばれたようです。合の本は地方の大社だったとの言い伝えがあり、式内社だったのかもしれません。 題名:東条川流域の住吉神社1(三田市大川瀬): 9月 20日 投稿者: いこまかんなび
加古川の支流、東条川の奥まったところ、三田市の西部、大川瀬にある住吉神社。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:9/20 古い由緒を持つ住吉神社ですね。
室町時代の中頃から本社の分霊を奉祀して分離する氏子が追々出来て、終に大川瀬だけの氏神となりました(本社古文書・兵庫県神社誌・有馬郡誌)
大阪住吉大社の鎌倉時代に於ける造宮の際、本社で御事始の儀式が行なわれた事が本社の古文書で判明したので昭和三十二年四月住吉大社からわざわざ神官の参拝と奉賽及び住吉踊の奉納がありました(神戸新聞) 聖武天皇の御代僧行基住吉神領方二厘を借受けて三種山上に堂宇を建立した後、三種山が火災にかかって数日間燃え続けたので博士に卜占せしめた所、住吉明神の神怒であるとわかり三種山を住吉造宮の杣山に復したが、高倉天皇の時に清水寺が三種山方二里は寺領であると称したので当時の神主長盛が清水寺と数年にわたって論争し、頼朝の時鎌倉に裁決を願いでました。院宣によって三種山を清水寺に加東郡所在の田二町歩を住吉神社の供田燈明領に奉納して解決した。(清水寺縁起)
題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび 日時:9/20 神奈備さまの知識・資料の集積と早さに頭がさがります。清水寺文書は、住吉神代記の椅鹿山の記述と似かよった所がありますね。 「船木宇麻(呂)・鼠緒・弓手等、御神山を斎護る。時に闌れ入れる公民等神山の木を切り取り、山地を歩み穢す。時に大神、「穢らはし」と宣り賜ひて、神火を放ちて杣山を焼き亡ぼし賜ふ。三箇年の内に木と土と共に焼燃て火滅(き)えず、燃える時に謄ち登る烟・炎・灰・塵、国家に満ちて、炎烟炭甚(もえ)盛り闇塞(くらがりふさが)りて、人民侘祭*(ニンベン、わびくるし)み、公家を驚かし賜ふ。 「天皇、卜占はしめ賜ふに、「大神の御祟なり」と占へ申す。之に因りて、「公家人民(おおみたから)等自爾(これより)以後、大神の杣山地等を歩み穢し切り犯す可からず」と宣詔し賜ひ、重ねて大神の旧跡の如く、大神の道歩(みちふみ)を尋ね、四至の堺を定めて寄さし奉るなり。」 題名:垣田神社をもう一度: 9月 16日 投稿者: いこまかんなび
上の左は西からの遠望、周辺には広大な神田が広がっていたということです。右は境内から南を写したもの、左(東)に能舞台。下は本殿横から南を撮ったものです。本殿北側〜西側に表津神社・中津神社・底津神社の三小祠の神が祀られています。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:9/16
> 表津神社・中津神社・底津神社の三小祠
『河内高貴寺縁起』(鎌倉時代)に面白い話があります。この寺は平石にあり、岩船神社の神宮寺でした。「風聞には当所、底筒男命、『旧事本紀』に言う饒速日尊、自ら天降りて御座す。岩船明神是也。」と書かれているようです。
題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび 日時:9/16
>本来、底、中、表は全く由縁の無かった神々が三韓征伐の貢献で、揃ったのかも。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:9/17
住吉三神をオリオン座のカラスキ星(参星)になぞらえる説があります。星座は地平線から上って来ますので、海で誕生した住吉神にピッタリ。
『播磨国風土記』には、神功皇后の船の先頭に立った神は、韓国伊太テ神で、五十猛命のことともされています。 これで、饒速日尊、味鋤高彦根神、韓国伊太テ神の三神が揃いました。何となく、日本建国に関係する神々にも見えてきます。 住吉の名でなく、住吉神を祀る播磨の神社 平成祭礼データ(神社本庁)から
題名:コメント投稿 名前:恋川亭 日時:9/18
淡河(おおご)、大沢(おおぞ)、吉川(よかわ)。県民以外には意外と知られていないのですが、昔は淡河一帯は大きな湖だったそうです。
題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび 日時:9/18
一 播磨国の賀茂郡、椅鹿山(はしかやま)の領地田畠合す。
「大田田根子命の児、神田田命等が所領九万八千余町」の広大な住吉の神領=はしか山の中に、加古川流域の河川と谷筋ぞいに、数えきれない程の住吉神社が祀られ、住吉大神を祀ることになった在地の神々と集団がいたのでしょうね。古代ロマンに満ち溢れていますね。でもなぜなのでしょうね。聖域をまもるため?。 さらにもう一つ疑問を。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:9/18
住吉大社神代記
大田田命と大田田根子命との関係は如何。
『東アジアの古代文化』2004夏号で、「大田ゝ根子、三輪山、崇神朝を考え直す」と云う秋間俊夫氏の論考があり、これの結論は『住吉大社神代紀』に出てくる船木連の遠祖大田田命、神田田命で山の木から船三艘を作り神功皇后等の日の御子を乗せたとあるのですが、この大田田命を考えておられるようです。
題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび 日時:9/18
大事なことを何たるちや。失礼しました。みなさん記憶をリセット訂正を。上の8・9の「大田田根子命の児、神田田命」は「大田田命の児・・」の間違いです、「根子」はいりません。
それにしても、よ〜似てるけど、ネコ-根子がついてるのと、ついてないのと。ウムーッ、一緒の理解じゃだめなんでしょうかね。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:9/18
日の神を運ぶ、とは、祀ることとも言えます。
題名:コメント投稿 名前:恋川亭 日時:9/18 兵庫県加東郡掎鹿谷を中心として、加古川へ注ぐ水系沿いで「住吉神社」をリストしてみました。
黒田庄町
西脇市
篠山市
三田市
社町
東条町
小野市
社町
滝野町
小野市
神戸市
三木市
長々とすみません。これに神奈備先生による上記の「住吉の名でなく、住吉神を祀る播磨の神社」を加えてプロットしてみたいナと。
題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび 日時:9/19
恋川亭さま。すごいリストアップ。
題名:Re:和気清麻呂溝の残骸を地図から: 9月 16日 投稿者: いこまかんなび
神奈備さま、早速歩いて来られたのですね、頭がさがります。私もそれでいいのではと思い、明治20年の地図で表示してみました。 題名:和気清麻呂溝の残骸を地図から: 9月 5日 投稿者: 神奈備
堀越神社から
写真は谷町筋で堀越神社向かいから南側を写したものです。道路が鞍部になっている様が見えます。これが和気清麻呂溝の残骸ではないかと。 題名:小野市の垣田神社と菅田神社: 9月 16日 投稿者: いこまかんなび
引き続いて小野市(播磨国加茂郡)の式内社垣田神社と菅田神社の写真を紹介します。
垣田神社--(祭神) 表筒男神、中筒男命、底津男命 神功皇后
菅田神社--(祭神) 天目一箇神、表筒男命、中筒男命、底筒男命、氣長足姫命、大山神
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:9/16
垣田神社
題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび 日時:9/ 16 垣田神社の所在地は、古くは小田町住社ですが住居表示で小田上町になってるようです。神社には確かに能舞台があります。播磨〜篠山方面の住吉神社にはほとんど能舞台があり、境内に小さな土俵があって神事が行なわれるようです。また、各地では近世には俳句の歌会が盛んだったようです。くわしくは何も調べていません。垣田神社の能舞台は文化財の指定は受けていないようです。追加で垣田神社境内他の写真を改めて紹介いたします。 題名:播磨町の阿閇神社(更に紹介): 9月 5日 投稿者: いこまかんなび
さらに続いて播磨町の「阿閇神社」の写真などを紹介します。
明石市魚住の住吉神社からさらに西、海岸に沿って走る古い浜街道ぞいの播磨町(古くは賀胡郡の阿閇荘)本庄4丁目に阿閇(あえ)神社があります。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:9/6
阿閇神社にはそのような古い歴史が残っていたのですね。
後赤穂郡赤松庄に白旗城を築き居城としたとか伝える、赤松家の祈願所として深く崇敬された(赤松盛衰記)。
江戸時代に姫路藩主池田輝政が社領十石を寄進され、京都所司代板倉伊賀守がこれを安堵された。明治七年旧社格郷社に列せられる。
題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび 日時:9/ 6 神奈備さま補強ありがとうございました。阿閇の海は今やコンビナートに。昔はホンジョ貝(むらさき貝)は浜の名物だったとか。海浜風情・貝とも消滅です。東方2kmの大中遺跡史跡公園・播磨町郷土資料館近くの北古田ほか、あちこちに住吉神社があるようです。 題名:小野市中番町の住吉神社(再): 8月29日 投稿者: いこまかんなび
小野市中番町の住吉神社をもう一度。
題名:海王と大王のひつぎ: 8月27日 投稿者:みうち
8月26日、南港で熊本から「大王のひつぎ」を引いてやってきた古代船「海王」を出迎えました。携帯写真なので、あまり良くは取れなかったのですが、参考までに送ります。出迎えのメンバーの一部は皆古代のコスチュームを着て、ちょっとしたコスプレショー。仮装行列でした。
1.海王
1.大王のひつぎ
題名:小野市の住吉神社: 8月26日 投稿者:いこまかんなび
先日、加古川流域の小野市にたくさんある住吉神社と船木の名に惹かれて探索に行ってきました。
詳しい地図なしで探すのは中々難しいものでしたが、何とか2つの式内社を訪ねてきましたので写真で紹介します。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:8/27
中番町の住吉神社には天目一箇神もまつられているようです。菅田町の菅田神社にも天目一箇神。
題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび 日時:8/29
天目一箇神ってアメノマヒトノカミ、山の神、火の神、金工の神、鍛冶の神なんですね。菅田神社はもと菅田・中番・久保木町一帯の氏神で、古くは字宮山というところにあったらしく、平安時代に中番町の住吉神社、久保木町の住吉神社が分かれ、現在地には保安年間(1120〜1123)に移されてきたようです。なお、西方の加古川へ東条川が合流するあたりは巨勢の里といわれ、顕王神社は顕宗天皇を祀り、周辺が製鉄に関係深いようにいわれています。参照『おの-ふるさと散歩』。
これまた引用。
題名:コメント投稿 名前:玄松子 日時:8/29
中番の住吉社は、式内社菅田神社(からの分社、あるいは後継社)ですね。「式内社住吉神社」という表現は、ちょっと違います。
題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび 日時:8/31
神様は苦手なのに。始めての播磨北部の神々の探訪でした。ここは住吉のことを考える上で凄く謎の多い地域です。再度ここから北東の東条〜三田〜篠山〜西へぐるっとまわって西脇市〜加東市へと。
題名:明石市魚住の住吉神社: 8月26日 投稿者:いこまかんなび
ついでに、明石市魚住の住吉神社です。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:8/27
明石市魚住町には住吉神社は三座鎮座、この写真は中尾ですね。他に魚住町金ケ崎、魚住町長坂寺、中尾からの勧請社かも。
題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび 日時:8/31
「神功皇后によって摂津の国住吉に御鎮祭せられました住吉大明神は「吾が居住はむと欲りする処は、播磨の国に渡り住はむ」と、お告げを出された。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:8/31
『住吉大社神代記』では、紀の国から播磨国へ藤の流れるままに住吉神が遷っているようですが、紀の国では天手力男意気続々流住吉大神と称されていました。
題名:コメント投稿 名前:いこまかんなび 日時:8/31
大藤の木=和歌山の藤白、42号線沿い、釣りエサ屋のあるところですね。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:9/1
木国藤代峯は奈良との県境の筒川藤代峯に鎮め祀ったとあります。現在の富貴です。尤もここには住吉神は祀られていません。それは紀の川の北側に遷ったと見るしかありません。
題名:梓水神社: 8月19日 投稿者:言蛇
>涼風が顔をなぜる風景写真、ありがとうございます。
祭神は建御名方命らしいですが、本来は梓水大神かも。 瀬織津姫の名は安曇野梓川水系で散見されます。早池峰の瀬織津姫は坂上田村麿呂が東北戦争後にもたらした気配がありますが、安曇野でも八面大王(八女大君)を坂上田村麿呂を討った伝承があり、坂上田村麿呂と共に安曇野に入ってきたと考えれば辻褄が合ってきます。瀬織津姫は坂上田村麿呂の影であり、乗鞍岳の麓にある梓水神社&梓水大神と混合したのかも・・・・
(1)梓水神社本殿、こちらは北を向いていています(穂高岳?)
#安曇野の北は奴奈川姫文化圏が拡がっており、八面大王(八女大君)はおそらく八坂刀女姫でしょう。穂高神社は菊紋を掲げており安曇族は坂上田村麿呂軍におそらくついた^^;
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:8/19
言蛇さん こんにちは。貴重な写真ですね。
題名:早池峰神社例大祭: 8月18日 投稿者:言蛇
(07)里を巡る神輿から望む早池峰。神輿は岳の町を隈無く廻ります。
(04)明けて8月1日、朝の早池峰神社です。天気が不安だったのですがいい具合に晴れてくれました。本殿の前には黒い獅子面と神輿が待機しています。
「秋風に山吹の瀬に鳴るなへに天雲翔る雁に逢へるかも(万葉集1704)」 こんばんわ、先日の立秋は大迫町岳集落の早池峰神楽を参観しに早池峰神社に言って参りました。祭神は瀬織津姫を祭っています。五所神社の狛犬ではさみしすぎるので獅子舞の写真をとどけにまいりました。
(01)大迫町早池峰神社の鳥居です。7月31日の宵祭り、旅行前の天気予報は数日雨だったのですがなぜか曇りから晴れ間がのぞく天気になりました。
早池峰神社の祭神は瀬織津姫命。
瀬織津姫については風琳堂主人(*1)の著作を通じて知り、安曇野梓川水系周辺では瀬織津姫の足跡を風琳堂主人と歩みました。風琳堂主人の次の著作は中臣神道を批判する為の本とのことですが、いまの早池峰の瀬織津姫がみている景色と違うものを感じこちらに掲載させて頂きます。
(*1)(http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/) 題名:暑中見舞い: 8月10日 投稿者:言蛇
「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(万葉集4540)」
こんばんわ、ページトップのおすずみ祭りの写真きれいですねー♪
道祖神祭りが春を招く祭なのに対して、おすずみ祭りが立秋の頃合でかがり火を模
しているのが興味深いところですね。
乗鞍岳は山頂付近までバスが通っていますので、喘息持ちの方でも高山帯の雰囲 気がお花畑が味わえます。 題名:暑中お見舞い: 8月2日 投稿者:泊瀬女
橿原市城殿町の本薬師寺跡のホテイアオイの群落です。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:8/2
泊瀬女さん 暑中お見舞い申し上げます。
地図は
題名:コメント投稿 名前:言蛇 日時:8/10 泊瀬女さん、はじめましてこんにちわ
のどかないい景色ですねー・・・
長野ですといまタチアオイが盛りなので、いいスポットを探してみます。 題名:白馬教会: 7月30日 投稿者:言蛇
「とこしへに夏冬ゆけや裘扇放たぬ山に住む人(万葉集1686)」
冬の写真はアップしたので夏のも併せて白馬教会をおとどけします。
礼拝に出席して気付かされることは、キリスト教というのは「キリストの述べた言 葉に対して自分を素直にさらす」ことが大前提にあることです(まあ、常識ですね) 現代のキリスト教徒は、福音書を読む気がある人は受け入れますが福音書を読む気が ない人は受け入れないでしょう。 古代日本史でよく景教のことが取りざたされますが、キリスト教と認定されるにはま ず福音書(キリストの言葉)が当時において正確に伝わっていたのか確認が必要です。 先週の礼拝で、中国人が恐竜から鳥への中間種を偽造しているとのことを進化論にか らんで説明をうけたのですが、中国景教に偽造がないかとも思い、ただいま勉強中^^
◆
#秦氏は古代においてキリスト教を棄教していたために、聖書が出土しない。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:8/2
ヨーロッパの国々でも土俗の信仰がいまだに残っている所もあり、一神教は妥協がないとか、他の神々を認めないと云うことはないようですね。
それでも多くの土俗信仰は塗りつぶされていて、特に中世では魔女裁判などひどかったようです。
題名:コメント投稿 名前:言蛇 日時:8/10
>一神教は妥協がないとか、他の神々を認めないと云うことはないようですね。
題名:五社神社の吽: 7月28日 投稿者:神奈備
五社神社の吽の狛犬です。
題名:コメント投稿 名前:言蛇 日時:7/30
この神社の狛犬は獅子をかたどったものですね^^
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:7/31
子供の頃、伊太祁曽神社の獅子に頭をかまれてすごくこわかったことを覚えています。
題名:飯山の神戸銀杏2: 7月28日 投稿者:言蛇
「我が目妻人は放くれど朝顔のとしさへこごと我は離るがへ (万葉集3523)」
こんばんわ、神戸銀杏の鳥居額が新しくなり、はっきり読めるようになりました。
案内版には岩手の銀杏が触れられているのですが、宮城県伊具郡丸森町雁歌の近くにも県下一を争う銀杏があるとのこと。7月31日から早池峰神楽があるので今年の東北旅行はスケジュールに悩むところ(^^;)
>天野は湿地帯で、独特の祭祀と雰囲気があるのかも知れません。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:7/27
言蛇さん こんにちは。
題名:コメント投稿 名前:言蛇 日時:7/30
ありがとうございます^^
題名:池田市の五社神社: 7月27日 投稿者:神奈備
浪速形の狛犬としては最も愛想のいい狛犬とされている。天保五年(1834)でm、体長約m、阿形の愛想がいい。砂岩。
題名:コメント投稿 名前:ローズマリー 日時:7/27 垂れた耳が何ともキュート!
「怖い顔で門番」の発想を転換して、
題名:コメント投稿 名前:言蛇 日時:7/28
五社神社、穴織大神が一柱だけ入っているのが珍しいですねー。
題名:ふたみや神社: 7月18日 投稿者:ZOU
久しぶりに、大阪府柏原市の二宮神社を訪ねてきました。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:7/19
ZOUさん、ありがとうございます。
二宮神社のブログを作っています。
題名:コメント投稿 名前:ZOU 日時:7/19
神奈備さん、このブログ良いですね(^^♪
題名:鹿児島冠岳の徐福さん: 7月14日 投稿者:nick
2002年に行った時はこの周辺は大改修中でした。
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:7/15
nickさん、投稿ありがとうございます。
題名:コメント投稿 名前:nick 日時:7/16
ほんの一部ですが、2002年の画像を
http://net.hayato.com/
石仏photos
題名:コメント投稿 名前:神奈備 日時:7/17 蘇我馬子は巻いた煙草。面白い由緒ですね。 修験、これに魅力を感じます。体力のある間に気が付いておれば・・・ 題名:磐座紀行大和「生駒市生駒山八大龍王社の岩群」?: 7月3日 投稿者:いこまかんなび
生駒山頂東斜面に深く切れ込んだ鬼取の谷の最奥にある「薬師の滝」=旧鶴林寺境内南側に「八大竜王の滝」があり、まわりは人工的な石積を含めた巨石が多数露出しています。ここでしょうか。 題名:甲浦八幡宮: 7月3日 投稿者:久下 昌男
高知県安芸郡東洋町甲浦662
http://www.rinku.zaq.ne.jp/bkcwx505 題名:宍喰八坂神社: 7月3日 投稿者:久下 昌男
徳島県最南端の宍喰町の「宍喰八坂神社」宍喰商業高校の隣に鎮座。
本社は、人々より「日本三祇園の一社」と称えられ、その由緒は古く、鎌倉時代に手写しの大般若経が奉納されていることでも明らかである。足利時代の大永6年(1526)、天文17年(1548)に再建の記録がある。神社は、もと岡ノ山にあったが、慶長元年(1596)現社地の久保に鎮座せられた。現在の本殿は、向拝付流造にして、高知県室戸より徳島に至る間に於いて寄付を募り、起工5年を要して、宝歴10年(1761)に建造されたものである。この建築は、当時、京都第一流の名匠の手になり、其の彫刻(祭神健速須佐之男命の八岐大蛇退治)は、実に精巧で、美術上価値の高いものである。又、鉄骨造りの新しい形式の拝殿は、氏子崇敬者は勿論、阪神方面で活躍する町出身者の浄財によって、昭和41年に改築成った。当神社は、亨保3年(1718)宗源宜旨を以って、正一位祇園牛頭天皇と称し、明治3年、八坂神社と改称。同4年、郷社となる。同40年、神饌幣帛料供進神社に指定。昭和28年2月24日、法人登記。猶、例祭の祇園祭は、祇園奉賛会主催の奉納煙火が盛大に打上げられ、海部郡内はもとより、高知県室戸方面から参集する人々で賑う。又・u氈タ膸魁⊂・海了核函・朕・・愾ヅ_・星狡未鬚佑衒發・・譴忙匐,燭舛砲茲觚甜伊C・覆ヌ修諒・爾・△襦・・w)お能について
http://www.rinku.zaq.ne.jp/bkcwx505 題名:神の森遺跡: 7月2日 投稿者:神奈備
三輪山山中の神の森遺跡 狭井川の源流の谷に当たる。狭井神社の北側の池を回り込み、東へ行く。まず、神社がひとつ登場する。その北側を奥に入っていく。途中に北側に鳥居があり、それをくぐって行くとこの磐座が出てくる。 |