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神奈備別荘
平成24年 1月 投稿者の敬称は略します
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Re: 「オソーデンサマ」 投稿者:TAMI 投稿日:2012年 3月29日(木)11時59分36秒 返信・引用
琉球松さんへのお返事です。
ありがとうございます。
以下の情報がありました、
一つ謎が解けたような気がします。
うまやがみ【厩神】
厩にまつられる神で馬の守護神の総称。馬頭観音を馬の守護神としてまつることは広く見られ,死馬の供養のため馬頭観音の石碑を立てることも一般的である。また駒形明神も馬の守護神とされる。このほか東日本では蒼前様(そうぜんさま)をまつることが多く,この神をまつる棚をソウデンダナと称するところもある。このほか鹿児島県曾於郡ではハヤマサマ,中国地方,とくに山口県などではオンバンサマ,長崎県壱岐島ではクサゴエサマと呼ばれる神がそれぞれ馬の守護神とされている。・・・
そうぜんさま【蒼前様】
おもに東日本に分布する馬の守護神で,相染,勝善とも書く。正月あるいは年に数度の厩祭をする場合が多く,厩に蒼前様のお札を貼り,祈?してもらう。近世期には猿回しを専業とする猿太夫と称する者が厩祈?と守護札の配札にまわっていた。秋田では,旧佐竹北家の厩番に伝えられてきたが,神仏分離以降祈?師に転じたといわれ,彼らは厩祭だけではなく,獣医の役割や馬に関するいっさいの世話をしていたという。岩手県盛岡市郊外の駒形神社をはじめ,馬の守護神をまつる社寺から蒼前様の札が出されている場合が多い。・・・
http://kotobank.jp/word/%E8%92%BC%E5%89%8D%E6%A7%98?dic=sekaidaihyakka(蒼前様)
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Re: 「オソーデンサマ」 投稿者:琉球松 投稿日:2012年 3月29日(木)09時32分45秒 返信・引用 編集済
TAMIさんへ
「厩の神」は、こちらでは馴染みがありませんけど、東北地方の「オシラ様・オコナイ様」との関係はどうでしょうか。これら従来の神観念と密教の習合って感じがしますね。
柳田國男の『遠野物語』が参考になりそうで、馬と女性の結婚?とか、後世的にはイカガワシイ話に変化しているように思います。
写真は、琉球創造神アマミキヨ降臨の山「湯湾岳」・奄美大島
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Re: 「オソーデンサマ」 投稿者:TAMI 投稿日:2012年 3月28日(水)19時23分9秒
> 琉球松さんへのお返事です。
元六合村役場(現中之条町六合支所)へ電話で聞いてみましたが、合併の影響か、要領を得ない回答。
そこで、元六合村役場を訪問しました(写真、支所内右にいる人が対応していただきました)、
「六合村誌」と「六合村の民族」を比較しました、
何でも、六合村誌は昭和45年当時のデーターを基に編纂されたもので、合併を機に新たな六合村誌を編纂することになったそうです、
そこで、対応していただいた人から、編纂委員の「井田安雄(前橋市在住)」さんに電話していただき、オソーデンサマの件を聞きました(小生、直接会話)、当該地区(六合村小倉)の長老の中村さん(大正15年生
まれ)を紹介され、電話で、オソーデンサマについて聞いてみたところ、”知らない”ということでした。
つまり、誰も、判らない!
ところが、後刻、担当の人から、電話があり、井田安雄先生から”六合村誌の記述は誤写の疑いがある”と連絡を受けた、
何と!「六合村の民族」の方は(写真参照)、
オソーデンサマ・・・・・厩にある神。
と、○で止められているではありませんか。
ということは、オソーデンサマは「厩の神」で便所の神ではない。
しかし、謎は深まった・・・・・。
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群馬の便所神 投稿者:TAMI 投稿日:2012年 3月27日(火)20時19分4秒
●「竈神と厠神」本書の原本は、1986年3月人文書院より刊行されました。
172P
群馬県吾妻郡六合村(くにむら)では、年取りや正月を境にして、便所神(「烏枢瑟摩明王」ウスサマ)のお札、女神の絵姿、女の人形などを祀りなおすという。
群馬県利根郡(とねぐん)新治村(にいはるむら)須川では、正月の御幣でセッチンヨメゴと
いう男女の神を作る。
●「民族の神々」−群馬の民族T−昭和61年3月30日発行みやま文庫
114P
便所神
便所は、かわや、せっちん、ちょうずば、こうか、などいろいろに呼ばれ、便所に神を祀ることはほぼ県内全域でみられる。
その名もオヒガミ、コウカガミ、カワヤガミ、ベンジョガミ、チョウズバガミ、ウッサンミョウサマなどいろいろある。
※”ウッサンミョウサマ”=烏枢瑟摩明王か?
●「群馬の小正月ツクリモノ(上)」平成9年5月30日発行みやま文庫
117P
六合村や長野原町ではウッサンミョウサマとよび、初給売りが刷り物の絵を売り歩いたが美女の絵柄(オイラン風の絵)のもので、これを便所の中に貼っておいた。
※”ウッサンミョウサマ”=烏枢瑟摩明王か?
みやま文庫=主に群馬県教育委員会など教職出身者により執筆されている。
情報は、どちらかと言えば、上位者(神職僧職)のものと思われます。
一般平民?は、ほとんど知らないのではないかと・・・・・。
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イザイホー祭場 投稿者:琉球松 投稿日:2012年 3月27日(火)10時21分47秒
12年に一度行なわれていた久高島の祭り「イザイホー」の祭場です。
現在はコンクリート製に強化されてますが、中央の「ハンアシャギ(神アサギ)」は、壁のない状態(足一騰宮?)を再現しています。
祭場略図は『神々の古層・主婦が神になる刻/比嘉康雄(ニライ社)1990 』より
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久米島の聖地をご紹介 投稿者:琉球松 投稿日:2012年 3月24日(土)16時44分49秒
久米島にも、出雲の「猪目洞窟」や「加賀の潜戸」など、弥生人の太陽信仰や再生の観念とも繋がる聖地があります。
写真は、出産と再生の聖地「ミーフガー(ホト穴?)」と巻貝を供えた祭場(久米島北部)。。。神々の中継の島「トゥンパラ(同南部)」。
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Re: 「オソーデンサマ」 投稿者:TAMI 投稿日:2012年 3月13日(火)08時46分31秒
> No.1407[元記事へ]
> > 六合村
>
> これを「くに」とよむのはどうしてでしょうか。
六合を「くに」と読む理由
六合村の起こり
明治22年(1889)、自治制の施行に伴い、それまでこの地域にあった入山・生須・小雨・太子・赤岩・日影・草津・前口の8つの村を統合し草津村が誕生しました。
しかし当時、現在の草津地域と六合地域は産業や生活様式が大きく異なり、一つの村として続けていくことは難しく、明治33年(1900)7月1日、草津と前口は草津町に、残る6つの大字は六合村に分かれました。
このとき「六つ」の大字が「合わさる」ということで、「六合」の名が付きました。
「六合」を「くに」と読む理由
古代東洋では、世界は東西南北及び天地の六面で構成されたさいころの内側のようなものだと考えられていました。六つの面が合わさっているので、世界のことを「六合(りくごう)」とも呼びました。
同じく世界を意味する「天下」「四海」「八紘」と同様、「六合」もしばしば「国」の意味をもって使われ、古事記上巻序文の「乾符を握って六合を総べ」、日本書紀の神武天皇即位のくだりのすぐ前の「六合を兼ねて以って都を開き」においても「六合」は「支配の範囲=国」の意味で使われています。
このことから「六合」を「くに」と読み、「六合村」を「くにむら」と読んでいます。
※写真は吾妻郡中之条町伊勢町「伊背宮」、本文とは関係ありません。
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Re: 「オソーデンサマ」 投稿者:TAMI 投稿日:2012年 3月12日(月)17時57分45秒
> No.1405[元記事へ]
琉球松さんへのお返事です。
> 「オソーデンサマ」は「お聖天様」ではないでしょうか?
同じ吾妻郡長野原町川原湯温泉に「聖天様露天風呂」というのがあります。
http://www.dankami.net/seitensama.htm
石神問答に、聖天の記述があります、
どうやら、聖天様は、風俗的?扱いでしょうか、
六合村には、結構、この手の伝承があるようです、
因みに、
南方熊楠は、柳田国男批判を展開したようですが、
柳田の「石棒嫌い」と「官僚臭さ」を追求?
南方熊楠は、ワイダンが得意とか。
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「オソーデンサマ」 投稿者:TAMI 投稿日:2012年 3月11日(日)18時30分25秒
八 村の神と信仰
家と屋敷の神
オソーデンサマ
厩にある神様、便所の神、やはり正月おしめと松をかざる。便所には女神の絵を張るところがあるが入山の場合、子供が元旦の朝、この女神の絵を初絵と一緒に売りに来る。
吾妻郡「六合村誌」より
厩と便所の神は「オソーデンサマ」ということらしい。
オソーデンとは?
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Re: 墨坂神社 投稿者:TAMI 投稿日:2012年 3月 2日(金)22時54分6秒
神奈備さんへのお返事です。
> 大和の墨坂神社は古社だと思いますが、不思議なことに延喜式内社ではありません。ここから勧請されたとの伝承を持つ長野県須坂市大字小山の墨坂神社は式内社です。
> ご紹介の須坂市大字須坂の神社は論社ではなさそうですね。
そうですか、参道に式内社の石柱があったので、てっきり、論社とおもいました。
写真は、本当の式内社「墨坂神社」通称はちまんさま、です、
拝殿に、立派な扁額「式内社」とありました、
境内も広いです
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TAMIさんへのお返事です。
墨坂の神はそうとう古いようです。
『日本書紀』巻五崇神天皇九年(壬辰前八九)三月戊寅《十五》◆九年春三月甲子朔戊寅。天皇夢有神人。誨之曰。以赤盾八枚。赤矛八竿。祠墨坂神。亦以黒盾八枚。黒矛八竿。祠大坂神。
崇神天皇のとき、大和の東西の境に両神を祀ったのが、墨坂神と大坂神とあります。大坂神は大坂山口神社。共にぎりぎりに三輪山が見える場所。
大和の墨坂神社は古社だと思いますが、不思議なことに延喜式内社ではありません。ここから勧請されたとの伝承を持つ長野県須坂市大字小山の墨坂神社は式内社です。
ご紹介の須坂市大字須坂の神社は論社ではなさそうですね。
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墨坂神社 投稿者:TAMI 投稿日:2012年 3月 1日(木)08時10分53秒
長野県須坂市須坂芝宮
「墨坂神社」しばみやさん
祭神 墨坂神 健御名方命
宇陀から勧請されたのでしょうか、
昨年11月2日参詣、エビス講をやっていました、
須坂市には墨坂神社が二社あるようですが、
どちらも、式内社とのこと
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Re: 「ヌナカワヒメ」 投稿者:琉球松 投稿日:2012年 2月22日(水)20時07分2秒
ヌナカワ姫は、糸魚川産の曲玉をされていないのでしょうか。
写真は、久米島の神女「キミハエ」の翡翠製丁字頭曲玉・久米島町博物館所蔵(祭祀の際は現役として使用)
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はやぶさ 投稿者:神奈備 投稿日:2012年 1月28日(土)13時21分12秒
はやぶさの実物大模型の展示が大阪市科学館でありますので、見に行きました。本当は大旅行をしてきた実物を見たい所ですが、オーストラリア上空で燃え尽きたのです。映画で使用したもののようです
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あぢ 投稿者:大三元 投稿日:2012年 1月13日(金)16時55分22秒 返信・引用
アヂスキタカヒコ カモの大神
アヂ とは ともえがも のこと
ともえがも の写真を入手した。
頭の後ろに「X」マーク:荒神谷銅剣の「X」マークを連想。
ま、それだけのことなんですがね。
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「神奈備にようこそ」
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