大阪市淀川区の香具波志神社
淀川区加島4-4-20 its-mo


祭神 倉稻魂神、保食神
天照皇大神、稚産靈神、埴山姫神、住吉大神、八幡大神

由緒

  社名は孝徳天皇此の地に行幸して、「伊耶古梯母怒毘流都美邇和賀田久美知能迦具波斯」の御製があり、この迦具波斯の句に依ったものと伝わる。朝日宮とも称された。天徳三年(959)創建と云われる古社である。
 『摂津志』に「稲荷神社二座 一座在加島村」とある一座は当社である。もと賀具波志大社と称したが、織田信長の時に稲荷神社と改称し、明治維新後は現社名に復した。江戸時代、祭礼の神輿に参勤交代の西国大名の行列が道を譲ったとその威勢が語られる。明治末期に近隣の八幡神社、住吉神社、天神社二座ご合祀した。

 境内には上田秋成の寓居跡と加島鋳銭所跡と碑が建っている。秋成は幼い頃疱瘡を患って九死一生を得て以来、信仰を続け、堂島の店が火災で焼失した後にもここに転居している。

 楠木の切り株が祭られている。樹齢は800年を越えた大阪市一の巨木となったが、昭和45年に枯れてしまったので、惜しんで祭っている。戦後の工業地帯であって、空気はいつも黒かった時期、町に活気はあったが、人間の肺臓や古木を痛めつけていたのだ。

 境内には御幣神祠があったが現在は見あたらない。御幣島に祀ったと言われる姫神の祠だろう。御幣島は難波八十島の一の御幣島の旧地で、神功皇后が三韓を征して帰陣の際、此の地に着岸、住吉大神を祀った故の名称とされる。後、八十島祭の行われたのも御幣島とされている。

 延喜式内社の摂津国島下郡に幣久良神社があり、現在は阿為神社に合祀されているが、御幣島の姫神が遷座したものとされる。

 祭礼 10月23日 秋例大祭

 

拝殿

本殿

楠木の上の祠

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