川戸神社
群馬県吾妻郡吾妻町川戸1072 mapion


鳥居



交通案内
 吾妻線の群馬原町駅から南下 約1800mで神社。



祭神
 迩迩藝命、吾妻太郎行盛、火産靈神、大物主神、五十猛命、大山祇命、品陀和氣命、鹿屋野比賣命、埴安神、天照大御神、豐受姫神、御穗須須美神



由緒 
 上野国吾妻郡。
 境内由緒
 古老曰わく 貞治年間(1362)の勧請。旧号首宮大明神(かみのみや)と称す。而も明治二年四月川戸神社と改称す。
 首宮と号するは吾妻太郎行盛の首級を祭ることに因りてなり。行盛は吾妻郡の領主にして代々岩橋城に居城し、貞和年間碓井郡の里見氏と戦い敗れて原町立石河原にて戦没す、と吾妻略記に云う。最後の時、敵近付候節立石に飛び上がり自らの首切って投げ給えは不思議なる哉その首二丁許り先なる川向こうの大木の中枝だに留まり霊光甚だしく、則ち行盛大明神として顕れ給いしなれば川戸村氏子集まり社を造りて首宮大明神と祝い奉りし鎮守これなり。享保年間の頃疫病頻りに流行の節、別当潜龍院社内にて疫病退散の護摩祈願の折一匹のヲサギが爈の周囲を徘徊するを幣串にて打ち殺し従者に命じて神木なる欅の大木の根元に埋めしに疫病ただちに止む。然るに翌年境内掃除に際し掘り起こしたるに少しも損せずミイラとなりてありたり。これ神徳のなすところと、宝物として社内に納め置き、毎年一月の一二三日の三日間旭の出前の参拝者極めて多し。これにてその年の疫病をまぬがれると云い伝う。これ本社初詣の起因なり。
 当社の宝物として吾妻太郎行盛の用いしという甲冑に太刀等及び幕府旗本朝比奈氏の寄進になる神鏡一面、長船長光の短刀、「ヲサキ」狐の「ミイラ」の箱入一個なりしが、慶応二年三月一九日の火災によりて悉く失せり。
    氏子会


拝殿

 祭神の五十猛命
 明治四十一年に大山祗神社を合祀している。
 吾妻郡削除神社明細帳(上野国神社明細帳 12吾妻郡)によれば:−
 羣馬縣管下上野國吾妻郡川戸村字玉科
  (付箋)
 「被合併」 無各社 大山祗神社
  (追記)
 「明治四十一年七月七日許可村社川戸神社へ合併」
 一 祭神 大山津見命
       五十猛命 鹿屋野比賣神
 一 由緒 不詳
 一 本社 間口一尺 奥行九寸
 一 境内 六拾五坪 官有地
 一 信徒 百三拾六人
 一 管轄廳迄距離  拾里
       以上

 この場所には現在、王子稲荷神社が鎮座している。
 鎮座場所

 明治初めには川戸村には、川戸、浅間、神明、諏訪、十二社4,稲荷、白髭、八幡、愛宕、春名の十三社が鎮座していた。


本殿


お姿
 東面して鎮座、拝殿と玉垣は新しいようだ。
 木々も多い。丸石は置かれている。丸石信仰だろうか。



お祭
例祭    4月 14日 1日間
  祇園祭   7月 26日 1日間
   秋季例祭 10月 14日 1日間


道祖神


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