熊野神社
群馬県利根郡みなかみ町真庭1 mapion


鳥居



交通案内
 後閑駅の西側の道を南下 約2km。真政寺の西。



祭神
 五十猛命  (合祀)櫛御氣野命、譽田別命、大雷命、健御名方命、大物主命
 摂社 神明宮、菅原社、秋葉社、稲荷社



由緒 
 上野国利根郡。
 沼田から月夜野町(現在はみなかみ町)に来るには、南から政所、真庭、師(もろ)、後閑(ごかん)と各村を通る。熊野神社は政所と真庭の境付近に鎮座。師の後田は三峰山から流れ出る多くの沢が流入している。その丘陵上に後田遺跡、一段下の師遺跡がある。後田遺跡は旧石器時代から平安時代の、師遺跡は古墳時代・奈良時代の遺跡である。
 後閑村には、『三代実録』記載の小高諏訪神社やその摂社の八束脛社が鎮座、小高諏訪神社には大屋毘古命が合祀されている。八束脛社はアラハバキの神を祀っているのだろうか。『地名辞書』には、「八束脛窟が出ている。後上野志云、後閑村、土人相伝ふ、上古長大人あり、居民を掠劫す、此地八幡山懸崖の半腹なる窟中に隠れ住み、昼は伏せ夜は発す、百姓之を愁ふ、久しくして後其窟宅を審察し、半腹上下の藤縄を剪断しければ、長人も縋下する能はず、遂に窟中に餓死す、其脛八束あり、故に奇として、八束明神と云ひ之を祭る、釈紀に引ける越後風土記、美麻紀(景行)天皇御世、越国有人、名八掬脛、其脛長八掬、多力大強と、此の地越後と境土を接す、蓋其類なり。

 群馬県の熊野神社の幾つかは出雲からの勧請社であり、これらは祭神を櫛御氣野命としている。 その中には御女神の大屋津比売・抓津比売を共に祀っているものが散見される。
 当社は主祭神として五十猛命が祀られている。これらの由緒はよくわからない。


拝殿


お姿
 目標としていた井筒屋が見えなかった。地方の衰退を感じる。 5時過ぎであったが、たまたま外に出てきたおじさんに尋ねると丁度真西にわずかに鳥居が見えた。まさに導かれた気がした。
 境内は広く、木々も豊。また石祠が多数鎮座していた。



お祭
春季例大祭  4月 15日 1日間
秋季例祭   8月 31日 2日間


本殿


五十猛命ホームページ
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