伊太祁曽神社
岐阜県高山市丹生川町日面ひよも字西の谷784 mapion
鳥居と社殿
写真ご提供 紀州伊太祁曽神社奥重貴様
交通案内
高山−平湯温泉バス 鍾乳洞下車 北西すぐ丘の上
祭神
五十猛大神・建速須佐之男神・大己貴大神・八衢比古神・八衢比売神・久那土神
由緒
創建年代は不詳。乗鞍本宮の里宮の一。
寛延十一年(1758)本殿を改築している。明治四十四年一月、同区字宮ノ前、字谷、字洞、久三の伊太祁曽神社を合併している。同年同月同区字コセ鎮座塞神神社、同字コセ鎮座疱瘡神社を合併している。
太古、当地にある鍾乳洞に仮住して、皇威に反抗したとされる両面宿禰にまつわる幾多の伝承にも関係する古社。両面宿儺は仁徳天皇の時代の六十五年に出現、一体両面で四手同時に弓矢を用い、多力軽捷で、天皇側は倒すことができなかった。そこで武振熊命を差し向けて討伐したと言う。『日本書紀』に出ている。
地元の英雄だったのであろう。
お姿
和歌山の山東の伊太祁曽神は日を抱く神としての母子信仰の片鱗が残っている。*1
和歌山の伊太祁曽神は元々現在の日前国懸神宮の地に祀られていたのであり、紀州平野の随一の神であったところから、太陽信仰とは無関係ではありえないのである。
日面に地名からも想像できるが、よく日が当たる地域である。ここの伊太祁曽神は東向いて鎮座している。 社殿周辺には杉の木が多く、特に社殿前の左右に対になって杉の木が植えられている。
紀伊の伊太祁曽神社の鎮座地の字も「西谷」である。
日影の伊太祁曽神社は西を向いている。
お祭
例大祭 9月15日
*1 探訪神々のふるさと4「松前健」小学館 飛騨の神社
飛騨の五十猛命
五十猛命ホームページ
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