青山神社
茨城県東茨城郡城里町上青山229

鳥居

交通案内
水戸駅前から石塚車庫行きバス 石塚から西南1.5km mapfan

祭神
五十猛命

由緒
 『常陽式内鎮座本紀』には概ね「御祭神は大宝元年(701)紀伊国名草郡に垂迹、人皇四十九代光仁天皇宝亀三年(772)秋九月二十九日、この郷に神託があり、宮居を建築し、御神徳を奉め祀った。」とある。要は、紀の国の伊太祁曽神社の祭神である五十猛命を神託によって勧請したと云う。

 寛文三年(1663)の鎮守開基帳には若宮八幡とある。延宝四年(1676)社殿神庫が炎上、重宝古記類を焼失、その後社名は八幡宮とか鹿島明神などと誤り伝えられたので、元禄九年(1696)水戸光圀公によって青山神社の称に復した。

新編常陸国誌には神体は八竜神形なりとある。幕末にも被災している。

 県道西の青山神社境内に、四十基ほどの円墳がみられると云う。

鬱蒼とした参道と二の鳥居

お姿
 7月10日の参詣、茨城名物納豆の日だとか、納得。

 五十猛命を祀っている神社への参詣はいつも気分がウキウキするが、今朝もそう言った気分。

 石塚から勝見沢を経て笠間に向かう街道の北側に南面して鎮座森、往古は交通の要衝だった。

参道の東側に偏っている300mの参道にはアジサイの花が残っており、また奥へ行くと両側に巨杉が林立、木々を植えた神を祀るのに相応しいと云いたい所だが、いささか杉の木に偏っているようで、森の活力が感じられず、どっちかと云えば不気味さになっているようで、これは惜しまれる所。

 摂社の祠が所々に鎮座しているが、中には祠の扉が開けっ放し、中は空っぽ、いたずらされたのであろうが、そのまま放置されているようだ。残念な事。

拝殿

拝殿に掲げられた奉文

慶応二年造営の本殿

お祭り

 3月28日、 9月29日  例祭

参考 『式内社調査報告』、『平成祭礼データ』

『平成祭礼データ』

宝亀三年九月二十九日創建。貞観二年二月従五位下、仁和二年十二月二十九日従五位上(位田十二町)延喜式内、小社に列し常陸二十八社の一座となった。延宝四年十月社殿神庫炎上し重宝古記一切を焼失。故に由緒不明となって社号も八幡宮とか、鹿島明神と誤られてをつたのを元禄九年十一月二日水戸藩主光圀公命によって、往古の青山神社に復した。圭田一石八斗三合。斉昭公更に五石七斗四升五合を加増。明治四十五年三月二十八日村社に列格。大正元年十一月二十八日(第一九四号)供進指定。昭和五年拝殿屋根トタン葺替。同二十七年九月三日宗教法人設立。
植林の神として崇敬され、木国の大神又有功神(いさをしのかみ)と称へられ、神威赫灼神域参道老杉うつ蒼とふさはしく周辺に古墳が多い。
以上

h16.7.10


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