弥彦神社
新潟県西蒲原郡弥彦村大字弥彦2898番地

一の鳥居

交通案内
弥彦駅 its-mo

祭神
天香山命
摂社
櫻井神社 天香山命
妻戸神社 熟穗屋姫命
武呉神社 天五田根命
船山神社 天忍人命
草薙神社 天戸國命
今山神社 建筒草命
勝神社 建田背命
乙子神社 建諸隅命
二十二所神社 伊勢大御神、石清水八幡宮、加茂大明神、松尾大明神、平野大明神、稻荷大明神、春日大明神、大原大明神、大神神、石上神、大和神、廣瀬大明神、竜田大明神、丹生神、住吉明神、貴船大明神、吉田神、廣田大明神、北野大明神、梅宮坐神、祇園神、日吉神
八所神社 香取大明神、熱田大明神、香嶋大明神、氣比大明神、諏訪大明神、江文大明神、渡津大明神、氣多大明神
十柱神社 大穴牟遲命、彌都波能賣神、速秋津日子神、速秋津日女神、阿須波神、波比岐神、大山祇神、大地主神、埴山姫神、草野姫神
火宮神社 加具都知大神
住吉神社 住吉三前大神
上諏訪神社 建御名方命
祓戸神社 祓戸四柱大神
下諏訪神社 建御名方命
湯神社 大穴牟遲命、少彦名命
某神社 祭神不詳
御神廟 天香山命

玉の橋 御手洗川にかかる

由緒
 『延喜式神名帳』越後国蒲原郡名神大社の伊夜比古神社である。 越後平野の西端で日本海にせり出した弥彦角田山塊の東端に」鎮座。 この山塊には縄文時代以降の遺跡や古墳が散在する。

 以下『日本の神々』による
 『弥彦縁起断簡』によれば、祭神は和銅二年(709年)に来臨、養老三年(719年)に宮を造営、天平勝宝年間(749年〜)に金智大師が来、弥彦明神の本地を阿弥陀如来としたと言う。
 中世、『大日本国一宮記』には「伊夜日古社饒速日尊皇子天香久山命ナリ」とあり、これが延宝六年(1676年)神祇宗の橘三喜が神主の求めに 応じ、神号「天香久山命」と」揮毫したことがあり、以降、天香久山命が祭神として崇敬されるようになった。と言う。

 江戸時代に天香久山命となったとすると、周辺の伝承、また祭神の御子神等を祀った周辺の神社など、すべては江戸時代以降の作為となるのだが、それほどの勢いで、伝承、摂社ができあがるものだろうか、とも思われる。 それ以前から天香久山命への崇敬はこの地方にあったのかも知れない。

 伊夜比古神の伊は偉大などの敬称で、これを除くと夜比古神となる。 夜比古神の夜の弥栄などの美称かも知れない。比古神が残る。弥彦山には金属採取精錬が行われていたと言う。これらは男の仕事、男神を祀ったのを比古神と称したとも言える。

随神門

 夜比古神に戻る。敬称の「大」をつけると大屋彦神となり、これは五十猛命と同じ神とされる。弥彦神社では祭神の天香久山命は紀の国から来たとされているが、五十猛命もまさに紀の国の神である。 弥彦神社と夫婦神とされるのが能登(石川県鹿島郡能登町)に鎮座する式内社の伊夜比神社の祭神が大屋津媛命であることからも、伊夜比古神が大屋彦神説も充分にありうるようだ。伊夜比神社のオスズミ祭は、女神が越後の男神を呼び寄せるもので、年に一回の夫婦の逢瀬を楽しむのだと言う。越後の弥彦神とされる。または佐渡の伊太祁曽さんの神だと言う古老もいる。佐渡の伊太祁曽さんとは度津神社の五十猛命を指す。別名は大屋毘古神である。

 また伊夜比古神社と佐渡の度津神社とは古来より関連があるようで、毎年正月には弥彦のカラスが佐渡の一の宮へ渡ると言う。度津神社が元社かも知れないと内心思っている。

拝殿

 弥彦神社の神紋は○に大の字である。伊太祁曽神社のそれは○に太の字であり、酷似している。

本殿

 摂社に某神社「祭神不詳」と言うのがある。
 また祭神は一目であるとか、アラハバキ門があったとか、古い伝承が残っているようだ。

お姿
 神社から弥彦山登山口への社叢の中の道沿いには万葉集で歌われた植物の内、弥彦山系に自生の約60種が植えられている。

 弥彦山頂には御祭神の神廟がある。登拝した日はガスがかかっており、視界数メートルであった。

 山道は赤土と赤石でできており、金属の豊富さを示しているように思える。徒歩下山は約1時間。

神廟

神廟 奥宮

お祭り

 2月 1日、2日 例祭
 7月12日 15日間の燈篭神事

彌彦神社摂社群


参考 『峰の桜』大森宮司著、『日本の神々』、『式内社調査報告』

h15.8.20


公式彌彦神社
五十猛命ホームページ
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