日枝神社(鶴岡市山王町)
山形県鶴岡市山王町2-26(荒町96)

鳥居と社殿

交通案内
JR鶴岡駅南300m its-mo

祭神
大己貴命、山末之大主大神、市杵嶋姫命 ほか
摂社 稲荷神社 宇賀之魂命、須佐之男命、大市姫命、大己貴命、五十猛命

由緒
 創建年代は詳ではない。
 当地方第一の古社と伝えられ、出羽国田川郡大宝寺村草創の時よりすでにあったお社と言われている。 鶴岡市大字日枝字坂本の日枝神社を上山王とし、当社を下山王とす、ワンセットの神社であった。

 家康の長男の徳川信康を祀る復鎮神社が鎮座、城主の酒井氏が先祖の忠次ぐの行状を悔い、御羽車御霊社として信康の霊を勧請したと言う。
 芭蕉の句碑が弁天島にある。珍らしや山を出羽の初茄子。この辺りは芭蕉の歩いた奥の細道にあたるのであろう。記念碑が多い。
 出羽三山神社の三大祭りのひとつである松例祭の際、当社に羽黒山の山伏が集結、参拝する。

稲荷神社

お姿
 市内の中心地、大きい緑の塊が日枝神社。 本殿左後ろに稲荷神社が鎮座。

稲荷神社

お祭り

 5月17日、18日  例大祭

参考 『山形県神社誌』、『山形県の地名歴史事典』、『平成祭礼データ』

『平成祭礼データ』

日枝神社 山王日枝の社 鶴岡市山王町鎮座

 産土神と氏子
一、大己貴命、山末之大主大神、市杵島姫命、正哉吾勝勝速日天之忍穂耳命、八衢比古神、八衢比賣神、久那斗神、菊理姫命、天津彦火之瓊々杵尊、の三柱と相殿の六柱の神を奉斎致します山王日枝神社は、創建年月は祥ではないが、当地方第一の古社と伝えられ、出羽国田川郡大宝寺村草創の時よりすでにあったお社といわれ、その間この土地に住む人々は、山王日枝神社の御前に、赤き清き心を捧げてひたすら神恩に感謝し、健やかな心身、豊かなる生活の御加護を祈念しています。
日枝神社は古くから「山王様」「お山王はん」として親しまれてきましたが、これは文化十三年以来唱えて参り、元禄十一年以降日吉大神と称え、明治二年四月以降日枝神社と改称、明治六年八月県社に指定され、戦後は五級社となっています。

一、氏子としては明治以前より鶴岡市内の上肴町、七日町、下肴町、八間町、荒町、馬場町、若葉町、鷹匠町、新屋敷町、鳥居町、与力町、日和町、宝町、高町、泉町、高畑町、最上町、大宝寺、文下、茅原及び西田川郡栄村大字本田、、西田川郡京田村大字荒井京田、同郡同村大字覚岸寺を有し、内上肴町、七日町、下肴町、八間町、荒町の五町を町方当屋とし大宝寺、文下、茅原、本田、荒井京田、覚岸寺の六大字を郷方当屋として慶長十七年より交代に神宿奉仕し今日に至まで神事が厳修されています。

沿革年表
一、当神社は創建年月明らかでないが出羽国田川郡大宝寺村(現在の鶴岡市)草創の前よりと伝う。
一、慶長十六年(一六一一)最上出羽守義光朝臣造営。
一、慶長十七年 最上少将より黒印高九十八石一斗七升九合九勺寄附旧領酒井家入国後其の儘寄付せらる
一、元和八年(一七二二)旧領主酒井家入国後産土神社指定
一、元禄十一年(一六九八)同家にて建替え社地を広め寄付を受ける
一、文化十三年(一八一六)子八月十七日神位正一位の勅許を蒙る社号往古は「山王権現」と唱えしを日吉大明神と称す
一、明治二年(一八六九)御布告により日枝神社と改称す
一、明治六年(一八七三)県社となる

日枝神社の祭日
一月一日 歳旦祭、大宝寺年賀祭
四月十日 祈年祭
四月二十五日 幕附祝儀
五月二日 草餅祭
五月十一日 御鉾飾祭 郷方神宿
五月十二日 御鉾飾祭 町方神宿
七月十六日 厳島神社祭
五月十七日 大祭宵祭
五月十八日 大祭本祭
九月九日 秋祭
十月二十五日 日枝講祭
十一月二十四日 新嘗祭
十二月十七日 冬祭    
十二月三十日 神符焼納祭・大祓祭
以上

h15.8.18


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