![]() 対馬市峰町志多賀字中原290番地 mapion ![]()
貞享三年(1686)の『神社誌』では、「那祖師大明神、朝伊奈大明神、恵比須本山大明神、中原に鎮座。当地と小鹿の境の神山に本山・かなご・かなくら・北山と称される祠がある。」と記載されている。 ![]() ![]()
川岸段上には古墳や祭礼遺跡がある。須恵器の破片も出ている。 摂社に水神が鎮座、罔象女尊を祭る。水の働きをまとめている。 水は尊し 水は美し 水は清し 水は強し 水は恐し 水は深し ![]()
例祭 6月 14日 15日 参考 『式内社調査報告』、『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』、『長崎県の地名』 |
![]() 対馬市上対馬町小鹿字大浜520番地 google ![]()
『三代実録』(貞観十二年(870))に、「奈蘇上金子神に従五位上を授ける。」とある。
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小鹿の地名は神功皇后の伝説に付会して牡鹿をとって饗じたことに由来と云う。(「神島記事」から)
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例祭 6月 14日 参考 『式内社調査報告』、『対馬神社誌』、『長崎県の地名』、『平成祭礼CD』 |
![]() 対馬市上対馬町泉字在所1417番地 mapfan ![]()
『対馬神社誌』から 舌崎神社 『長崎県の地名』には、「貞享三年(1686)の『対州神社誌』に、今宮、志古島大明神、志多崎大明神、大悲権現、大嶽、地主、山房、太曽が記されている。」とある。 ![]()
神功皇后の腰掛け石を探したが、それらしい石が三個あったが、座るのに良さそうなのは一つ。
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参考 |
![]() 対馬市上対馬町豊字大多1337番地 地図 ![]()
『津島紀略』によると、「島大国魂神を上県郡の最高峰で第一の霊山とされる御嶽の神。」と比定している。宝暦十年(1760)の「大小神社帳」では、島頭神社とし、祭神も天日神命とし、脇宮に那祖師(素盞嗚尊)、御子若宮(五十猛命)としている。
貞享三年の「神社誌」から 『対馬神社誌』から ![]()
『長崎県の地名』には、「船泊りの良い入り江に恵まれている。神功皇后が矛・剣を当地に納め、国の豊かになるを願ったと云う所伝がある。」と記す。
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例祭 10月 3日 参考 『式内社調査報告』、『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』 |
![]() 対馬市上対馬町五根緒字平山188番地 mapfan
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鳥居と海を見る。 ![]()
例祭 11月 11日 参考 『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』 上対馬町琴の大銀杏
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![]() 対馬市上対馬町唐舟志字在所381番地 watchizu ![]()
上記によって地名総稱を東舟志と云ふ。 氏神山房(やぶさ やまぶさ)今宮・地主・妙現と称した。 ![]()
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例祭 11月 1日 参考 『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』 |
![]() 対馬市上対馬町河内字藤内ケ内43番地イ第2 its-mo ![]()
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岩立権現社については、「神社帳」には祭神を豊玉姫とし、「紀事」は素盞烏尊、五十猛命としている。
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その昔は無社殿で神山麓に神体の幣が東向きにあり、幣に対して巫女が神楽を奏した。 ![]()
例祭 3月 3日 参考 『式内社調査報告』、『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』 |
![]() 対馬市上県町瀬田1番地 its-mo ![]()
由緒 ![]()
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9月 1日 例大祭 参考 『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』 |
![]() 対馬市上県町女連85番地 its-mo ![]()
当地にも対馬に多いうつろ船伝説がある。女神の来臨を解く神話と見なされている。当地の北の唐神にも渡来神が祀られていたのであろう。
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例祭 3月 3日 海岸を西南に回り込めば、立石が見えたようだ。残念! 参考 『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』 |
![]() 対馬市美津島町洲藻347番地2 地図 ![]()
摂社
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例祭 9月 8日
向こう側に洞窟があり、奧に祠があるという。 向かって右が雄岳、左が雌岳。 ![]() 参考 『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』 |
![]() 対馬市厳原町南室字在所209番地 its-mo ![]()
「社前掲示」から。上代の海宮とは対馬のことをいい、仁位和多津美の宮はその神跡。豊玉彦命はその神跡に宮殿を造り、一男二女をもうけた。穂高見命、豊玉姫命、玉依姫命である。以下略。
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![]() 参考 『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』、『社頭掲示』 |
![]() 対馬市厳原町小浦308番地 its-mo ![]()
境内摂社
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お祭 例祭 4月 12日 参考 『式内社調査報告』、『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』 |
![]() 対馬市厳原町曲16番地 its-mo ![]()
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例祭 11月 1日
![]() 参考 『式内社調査報告』、『対馬神社誌』、『平成祭礼CD』 |
![]() 壱岐市郷ノ浦町渡良浦292 ゼンリン ![]()
元々現在地には金比羅神社が祀られていた所に、海岸沿いにあった保食神社を合祀したものと思われる。海岸沿いの小祠は恵比須社と刻印した石碑の横にそれらしい石像があり、保食神とは思えないが、地元では元社との表現であった。 素盞嗚尊・五十猛神が祀られている理由はよく判らないが、壱岐島には素盞嗚尊等が半島と往復した際、立ち寄ったとの伝承も残っているようで、その関係かも知れない。
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10月 10日 例大祭 参考 『郷ノ浦町史』、『平成祭礼CD』 |
![]() 壱岐市勝本町立石西触727番地 ゼンリン ![]()
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11月 6日 例大祭 参考 『平成祭礼CD』、『壱岐名勝図誌』 |
![]() 壱岐市郷ノ浦町小牧西触499・500番地 ゼンリン ![]()
『続風土記』云う、当社は神代よりの鎮座。「古考伝」云う、天道大明神、韓国より駒牧邑大江の浜に到り給う。此の地に井泉あり。滑川と云う。其の川の傍らにて竜馬に乗り、滑木(ナメキ)の辻に到り給う。宮室を造りとどまる。大江浜の石に竜蹄の跡、今なお存す。土俗敬いて登らず。
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10月 18日 例大祭 参考 『郷ノ浦町史』、『平成祭礼CD』、『壱岐名勝図誌』 |
![]() 壱岐市郷ノ浦町郷ノ浦313 ゼンリン ![]()
由緒 『郷ノ浦町史』から。 ![]()
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8月 25日 例大祭 参考 『平成祭礼CD』、『壱岐名勝図誌』 |