柳田國男「遠野物語」と「イタカとサンカ」と伊太祁曽神



柳田國男が明治末期に発表した>「イタカ」及び「サンカ」から
 『東遊雑記』によれば津軽にては婦人の神を祭る者を「イタコ」と呼べり。市子の訛なるべし。 そのイタコは「オシナ」または「オシラ」と称し、桑の木にて作れる棒に絹布など被せて、幣帛のごとくなしたるを神明として祀ることあり。
 陸中遠野の人佐々木繁氏(中略)また曰く陸中東磐井郡地方にてはイタコをオカミサマとも言う。 神がかりの折には、オシラサマの男体を左の手に、女体の方を右の手に持ち打ち振り打ち振り物語りする云々。
 オシラ神の信仰はアイヌと共通なることは注意すべき問題なりとす。
 イタコの語原に関する自分の仮定説は左のごとし。イタコはアイヌ語のイタクに出づるなるべし。
ハチェラー氏語彙によればItak=to say、acknowledge、to tell とあり。
 金田一京助氏は曰くイタクはわが「言う」に該当すれども普通の談話には用いず。 おそらくは荘重なる儀式の詞が意味するならん。ユーカラなどの謡物の中に巫女が神意を告ぐるところには必ずイ子、 イタキ(かくのごとく言えり)という語を用いたり云々。
 白鳥博士の談にイタクは蝦夷本来の語にはあらずして、必ず隣接民族より伝えたるものならん。 北方の諸民族にはこの語共通に神聖なるものまたは荘厳なるものを意味す。 わが国の古語のミイヅ、イツク、イツクシなど皆この例なり云々。
 さらにこれを本邦の古典に徴するに『古事記』諾尊得三貴子の条下に即御頸珠之玉緒母由良邇取由良迦志而。賜天照大御神而詔之。汝命者所知高天原埃[土なし]。事依而賜也。故其御頸珠名謂御倉板挙之神とあり。
御倉は神几にて祭壇の義なるべし。 この板挙之神は古註に多那と訓めあれど義通ぜず。おそらくはイタケの神にして、姫神が神父を拝祀したもうに、この遺愛の物を用いたまいしことを意味するならん。
また紀州の国幣中社伊太祁曽神も社伝には日前・国懸の二神斎祀の時に現れ来たまえりといえば、すなわち一種の斎の神なるべし。 この神と五十猛命と同じという現今の通説は、単に『日本書紀』の中に、五十猛命を即紀伊坐大神是也とあるに拠れるのみ。 伊太祁曽はイタキソにして、イタケソにあらざることは、『倭名鈔』の郷名に伊太杵曽郷とあるもその一証にして旁素尊御父子この国に祀られたまえりとて、ただちに伊太祁曽をもってこれに充つるあたわざるを思うべし。 伊太祁を五十猛なりとせば、曽の字すこぷる解するあたわず。 けだし五十猛は別に父御神の斎祀に与りて、この名を得たまえるなるべく、あたかも後世八幡に若宮あり、熊野に王子あると同じくこれ等のイタキ、イタケはすべて皆御子思想に胚胎せる霊巫の名称にほかならざるべし。

以上柳田國男氏引用終わり


 アイヌ語で神々の名や地名を解読されているgenさんの五十猛(その1)へのホームページ中に『事代主・一言主・五十猛・イタテ』があります。 この中の表の一部を拝借します。
tak 言葉、話す .
iso 豊猟 itak-isoイタキソ、を考えたのだが。。。
iso-itak 話す(物語する/中川)猟の話をする、に限るのか?
itak sinne 話しているようだ <itak sir neの音便
itak sura 遺言 <言葉を放つ
itak-ke 〜を話す itakの他動詞
拝借終わり

tak、itakはアイヌ語では話すと理解できる。<<それも ”i”が付けば荘重なイメージがありそうだ。偉、巌、威のイであろう。>>と書いたのだが、 genさんから、itak は「i」を分離しないで考えるべきで、たとえ、i- を分離するとしても、一般に i- は「それを」と訳されるのであって、偉、巌、威のイはアイヌ語には考えにくいとのご指摘がありました。謝。

 三一書房から『衝撃のチベット語』を出版されている生田淳一郎さんは次のような見解を示されています。(小生へのメール)
恐山などのイタコは アイヌ語 itak ではない。アイヌ語の (i)tak は英語のtalk ,シナ語の「託宣」のタクであろう。 恐山のイタコは「イタゴ」が原音で、これはタガログ語の「降霊をする」が基本と見る。 下北での女陰はペッペ(タガログ語)が訛ったヘッペ、エッペ。下北はタガログ語が入っている。イタゴの go はネパール語でも神である。タガログ語にはネパール語がかなり多く入っている。
 伊太祁曾は「イタキソ」と読むのであろうが、これが「イタ」でいちど切れるのかどうか、かなり問題かもしれない。 「ソ」がまだわれわれが知らない「神」だと置くと、「イ・タキ」が本筋かもしれません。そうすると「タキ=岳」の近似も出ます。 「イ・タキ」で、いちど「タキ神」が出て、これに曾がついたという分析です。
 従って、「イタキソ」は、いちおう、「託宣の神」でいいのではないでしょうか。
 神のイツ(厳)はバスク語に同根語がある。そして伊太祁曾の神は「るりヒタキ(鳥名)」のヒタキではないかということ。 ここでトーテムの登場も視野に入れます。ヒタキは草の穂先きなどにチョコンととまって、チィチィ声高く鳴く鳥です。 鳥のヒタキの意味についても一昨年、かなり追いかけ廻したのですが「火焚き」のほかは出てこなかった。 itak はかなりムリです。
 ”h” は落ちやすいので、イタキソはヒタキソの訛りである可能性が高まってきました。
 鳥のヒタキは渡り鳥ではないでしょうか。この鳥が里近くで鳴くようになったら、オウ(春焼き)やザス(秋焼き)の野焼きをする、季節の始まりを告げる鳥……らしい。
 九州ではイタヅラ坊主を「ワルソ、ワルソ坊主」とはいいますが、一般的には「ソ=人」が言える余地は少ないと思います。 ただし、小生の知るかぎりでは、「と」を「ソ」と発音するのが、山口県です。ソは「と」に還元して考えるべきか。 また。「キシ」は百斎の王です。……これかナ?! kisi-o(神)。「日田・(飛騨)+キシ+o」。
 「イタは百斎の王」にもなりますネ。こんなぐあいに二つの意味が出てきてこそホンモノの匂いがしてきます。 「鉄・百斎・王」……と、計三つですか。いや、日田には「ヒ・神」も付着していました。ヒタキsu-o(鳥神)も。計五つ。 伊太祁曾……このへんでいちおう良いでしょう。
 イタキソのソは su-o (鳥・神)にもなりますね。ita には「鉄(<i-dhatu ⇒伊達)」を感じます。
生田淳一郎様から頂いたメール引用終わり

 HP発信者として何らかの考えを出さざるを得ません。
 伊太祁曽神社と紀伊在田の式内大社須佐神社とは古来関連があり、祭事には相互に神官が派遣されたり、また須佐神社には伊太祁曽神の遙拝所があるし、伊太祈曽の近くには須佐の地名も残っている。 さて、記紀では五十猛命を素盞嗚尊の御子神、御子すなわち巫女、巫霊となり、齋祀る神と言えよう。 齋祀る神、則ち、神の声を語る神、例えば事代主神、一言主神、中言神がこれに当たる。和歌山市の射矢止神社の由緒に五十猛命が天香期山命、一言主神と共に本国に天降り、名草の山路に後を垂れたとある。また中言神社は名草の里に集中しており、伊太祁曽神を祀ったとされる名草戸畔が祀られていると言う。無関係ではない。
 さて紀伊の国の國造は紀氏、あの謎の古代豪族と形容される紀氏である事は周知の通り。その紀氏には公開されている系図と非公開の系図が残されていると言う。 なぜ小生が知っているのかであるが、非公開を見た人がある講演会でしゃべってしまった議事録を見たからである。 おそらく紀氏の許可があったのであろう。この系図は紀の国の氏族の活躍を御参照下さい。
 紀氏の祖神は公開系図によると神産霊尊−御気持命・・名草戸畔・・天道根命となっているが、非公開の系図では素盞嗚尊から記されているそうである。則ち紀氏の祖神は本当は素盞嗚尊であると言える。
 前に引用した柳田國男さんの伊太祁曽神の出現を言う社伝では「伊太祁曽神は日前・国懸の二神斎祀の時に現れ来たまえり」と引用されているが、紀氏が日前・国懸の神々を祀るに当たって、伊太祁曽神社はその社地を譲った事となっている。 紀の国の国譲りとの理解であるが、柳田さんは、この伝承を「二神斎祀の時に現れ来たまえり」と理解しておられる。すなわち、齋の神としての出現として捉えておられる。戦前の伊太祁曽神社の社伝はそうなっていたのかも知れない。
 現在は国懸神は正体不明だが日前神は天照大神とされているが、これは紀氏が大和王権の配下に入り、天照大神を日前神として祀ったとすれば、この時自らの祖神を国懸神として並列に祭祀したものと推測できる。いつの頃からか国懸神の正体は不明になってしまったのだろう。 しかし紀氏の祖神であるとすれば国懸神を素盞嗚尊と見る事ができる。この神の御子神の一柱が伊太祁曽神と言う訳である。伊太祁曽神はその中に齋神の名を含んでいる。紀氏は大和に服属した故、天皇家の祖神の天照大神は紀氏が自ら齋祀る。また我が祖神となした神産霊尊をも祀る。従って我が真の祖神である素盞嗚尊を伊太祁曽神として齋祀ってほしい。と言う事があったのだろう。

 古事記に記されている伊弉諾尊の御頸珠之玉が天照大神に渡され、天照大神と素盞嗚尊の誓約の時にこれを掛けてもしくは咬んで出現した神々がいる。八皇子である。また素盞嗚尊には八王子がいる。実際には各地域の氏族の支配権を巡っての天孫族と国津神との抗争の物語が残っているのであろう。 大八島の支配権であろうか。
 柳田國男氏は五十猛命を素盞嗚尊を齋く神と見ている。伊太祁曽神も紀の国での素盞嗚尊を齋祀る神である。従って、紀の国ではこれらの神々は同一神と見なされたのは自然な事である。

 古事記の「頸珠の名を板挙之神とし」の、板挙をイタケと柳田國男氏は読んでいる。アイヌ語から神々を見ておられる gen さんは白鳥を追いかけた「天湯河板挙」の「板挙」を「イタケ」と読むのではないだろうかと指摘されている。 「誉津別王」を「喋らせる」でイタキの表現はアイヌ語でドンピシャとされている。

 イタキまでは解釈がついた。
 伊太祁曽の「曽」が残る。生田さんが指摘された神、鳥神が打ってつけの解釈と思われる。木種を撒いた伊太祁曽神、実際には木種を播くのは鳥の仕事、また伊豆では火に包まれた所を鳥に助けられた説話が残っている。仲間なのだ。 齋の鳥神でトーテムはヒタキ。柳田國男氏の言うイタキソの一つの解釈も成り立ちうる。

 HP発信者として実は決めかねています。今後の追い求めるべき課題です。
イタキソ、これをイタ+キソと分解して、イタは伊達または五十猛として鉄を意味させ、キソをコソと見て、社、杜と解し、鉄をつくる神とする考え方も存在する。これが今までの有力な理解であり、小生も捨てきれない。
伊太祁曽神社の奧宮司は、五十猛(イタケ)の神が紀の国では有功(イサオ)の神とされている点からitakeisaoのeiがi、aoがoと変わり、itakisoとなったとの判りやすい説明をされたのが印象的でした。
なお、生田さんが、蘇る伊太祁曽神と言う一文をよこしてくれました。蘇る伊太祁曽神をご覧下さい。

国懸神は天日矛か
 日前国懸神宮では祭神を国懸神は国懸大神、日前神は日前大神としている。記紀に出てくる神にはしていない。 国懸大神の正体については色々論議のある所であるが、日前大神は天照大神と解釈されている。 これは紀氏が大和王権の配下に入り、天照大神を日前神として祀ったとすれば、この時自らの祖神を国懸神として並列に祭祀したものとの推測からである。 いつの頃からか国懸神の正体は不明になってしまった。しかし紀氏の祖神であるとすれば国懸神を素盞嗚尊とする事ができる。ならば紀氏自ら日前神国懸神を齋祀れば良いのであって、伊太祁曽神が出現する必然性はない。紀氏の祖神を素尊とするのは手の込んだ嘘なのである。 国懸神の御神体は日矛鏡となっている。矛の鏡とは何か?これもいろいろと解釈がなされている謎の神体である。
 ここに銅鐸を祭器とする国津神を恐れさせた銅鏡を神聖視する天日矛こそ紀の国を嚇した国懸神ではなかったか。カカスはカカシ、嚇しの意である。なお紀の国には天日矛の伝承は残っていないが、神体を正体の分からない日矛鏡とする国懸神の存在がこれを裏付けている。
 紀氏が日前国懸神宮を現在の地に祀るに当たって、それまで紀の国の大神と崇められていた大屋彦大神と妹神の大屋比売神、抓津比売神の三神は現伊太祁曽神社の鎮座する山東の地へ遷座した。国譲りである。 同時に紀伊三所神として伊達、志摩、静火の神として文遷したのであろう。この大屋彦大神の名から紀氏は神産霊尊の子を御気持命として系図にはめ込んだ。大屋は公、豪族の糧を出す意味があり、それを御気持命として、系図に入れて祖神であるとし、同時に紀の国の大神に奉仕させていたと称したのである。 融和と侮蔑である。
 後年、紀氏は大和王権の海軍の役割を果たす。海人達は相変わらず大屋彦大神を信奉していた。彼らの船玉の神、武勇の神であった。 紀氏も渡来系であり、国内の多くの渡来人を統率して船を繰り出し、戦う必要があった。その為には素盞嗚尊、五十猛命を同時に崇めたのであろう。やがてそれが、朝鮮建国神話の桓雄、檀君へと習合し、一方では、紀氏の祖神を天日矛からより人気のある素盞嗚尊と切り替え、同時に大屋彦大神と五十猛命を習合させていったものと思われる。
伊太祁の語源は五十猛に求めなければならない。「曽」の理解であるが、神と見るのが自然な理解であろう。

柳田國男全集4 筑摩書房


 遠野物語から オシラサマ
 昔ある処に貧し百姓あり。妻はなくて美しき娘あり。
また一匹の馬を養う。娘この馬を愛して夜になれば厩屋に行きて寝ね、ついに馬と夫婦になれり。
ある夜父はこの事を知りて、その次の日に娘には知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺したり。
その夜娘は馬のおらぬより父に尋ねてこの事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首に縋りて泣きいたりしを、父はこれを悪みてて斧をもって後より馬の首を切り落せしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に昇り去れり。
オシラサマというはこの時よりなりたる神なり。 馬をつり下げたる桑の枝にてその神の像を作る。 その像三つありき。本にて作りしは山口の大同にあり。 これ姉神とす。中にて作りしは山崎の在家権十郎という人の家にあり。 末にて作りし妹神の像は今附馬牛村にありといえり。


  
日本古代史とアイヌ語 (gens氏)


ユー・アイ母船 人類を指導せよ 気高き日本人 BY 生田淳一郎氏


H12.12.24


五十猛命ホームページ
神奈備にようこそ