神魂伊能知奴志神社・命主神社
出雲市大社町杵築東字森182 its-mo

前の巨木

交通
出雲大社 東500m



祭神
神産巣日神


由緒
 加藤義成氏の『出雲国風土記」には丁寧な解説があり、彼独自の説も盛り込まれており、読み応えのある名著。
 この出雲郷の神社一覧に、出雲社(出雲神社)の次ぎに御魂社があり、これを同社韓国伊太神社と注をつけ、現在の出雲大社の境外社、神魂伊能知奴志神社とされている。出雲神社は大社本殿の真南の素鵞神社に比定されている。残念ながら比定された理由はない。
 推測をするに大社の祭神の大国主神が命を助けられた話は『古事記』にある。
 @猪に似た焼けた大石を受け止めた際に焼け死んだが神産巣日神が貝比売と蛤貝比売を差し向けて助命していること。
 A八十神に追われた大国主神は木の国の大屋毘古神の元に逃げ、ここから根の堅州国に逃がされていること。大屋毘古神は紀の国の伊太祁曽神社の祭神で五十猛神と同じ神とされており、命の神として尊ばれている。
 Bは妻となる須世理毘売であり、須佐の男神の数々の試練から葦原色許男神(後の大国主神)を助け出している。
 これらの三神の内の一神が命主神と言うことだろう。二柱の貝比売は伊能智比賣神社に、二神に降臨を命じた神産巣日神は大社に配祀されている。また須世理毘売は大神大后神社に祀られており、残るは須佐の男神と大屋毘古神となる。素鵞社と同社の御魂社がこれに該当する。収まりが良いと云うこと。


社殿

お姿
 寛文の造営(1665)の際、境内の大石の下から銅戈と勾玉が出土している。重文。弥生時代からの祭祀されていた可能性がある。
 参拝に訪れた時は丁度社殿の改修中で、十九社(東)に一時的に祭祀されていた。


社殿


十九社(東)


お祭り
 1月 7日  11月 7日  神魂伊能知奴志神社祭


出雲大社本殿      素鵞社
 

 参考 『出雲国風土記』、『神国島根』、『平成祭礼CD』


出雲石見の五十猛命
五十猛命ホームページ
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