金屋子神社
島根県安来市広瀬町西比田307

金屋子神社の神門

交通案内
西比田 北2.5km its-mo


祭神

金山毘古命、金山毘賣命
合祀 素盞嗚命、石凝姥命、譽田別命、市杵嶋姫命、息長帶姫命、玉依姫命、伊弉册尊、天照皇大神、天兒屋根命、倉稻魂命、天玉祖命、押武金日命、猿田毘古命、天鳥船命、建御名方命、大國主命、事代主命、迦具土神、武内神、上筒之男命、中筒之男命、底筒之男命


由緒

 西比田の432号線北側に大きい鳥居が建っている。 社記によれば、村人が雨乞いをしていたところへ雨と共に、播磨国岩鍋に天降り、「吾は金作りの金屋子神である。」 と名乗ったそうである。
 おそらくは、兵庫県姫路市千種町岩野辺(旧播磨国 完粟郡)の二宮神社に坐す神であろう。 二宮神社の祭神は高神命、大山祇神、素盞嗚命、猿田彦命となっており、 祈雨の神や出雲縁の神々が祀られているし、摂社には出雲神社「大國主神」も鎮座している。
 谷川健一著『青銅の神の足跡』によると千種町岩野辺は千種鋼の産地として名高く、村の家々には出雲の一畑薬師のお札がはってあるそうだ。


 金属神と祈雨の神、大和の吉野の丹生川上神社や丹生神社にその例がある。 どうして金属と祈雨とが結びついたのであろうか、『丹生の研究』の松田博士は丹生神の大和系変化として、 その山の金属資源の重要性がうすくなった段階で、逆に稲作など水の重要性が一層ましてきた段階の変化ととらえておられる。

金屋子神社の拝殿

 さて、金屋子神とは出雲以外ではあまり聞かない神のようであるが、出雲の南の広島県比婆郡にいくつか見える。 上記の播磨国岩鍋より金屋子神が遷座した話は、タタラ製鉄の技術者が移動していったものと考えていい。 社記によれば、金屋子神は、「白鷺に乗って西国へ赴き、出雲の国能義郡黒田奥比田の山林に着き給い、桂の木に羽を休めておられるところ、たまたま狩に出ていた安部正重(宮司の祖先)が発見し、やがて神託により、長田兵部朝日長者なる者が宮居を建立し、神主に正重を任じ、神は自ら村下(技師長)となり給い、朝日長者の集めた炭と粉鉄(砂鉄)を吹き給へば、神通力の致すところ、鉄の涌くこと限りなし。」 とある。

 この中の朝日長者とはタタラ炉の頭領を云う。朝日(朝明)とタタラとのつながりは各地に見えるようである。 また、白鷺に乗って飛び去るのは伏見の稲荷山にもその話が見えるし、誉津別命も出雲におもむいている。
 金屋子神は麻に足を取られて死ぬのであるが、麻とは砂鉄の意と云う。『日本の古代10 山比との生業』によると死体をタタラの作業場の柱に立てて精錬すると、神がいるように出来たと云う。 金属神は死を嫌わず、かえって好むともされている。

大社造変態の本殿

 『金屋子縁起抄』(石見国太田村の石田春津著)によれば、最初の降臨地は奧州岩狭郡の信夫庄で、そこから吉備の中山を経て、 出雲の比田に飛んできたと記しているとのこと。(『古代工人史紀行』深沢武雄著による)

 『出雲国風土記』には、飯石郡や仁多郡横田郷の条に鉄の話があるのだが、金屋子神の「ことは記載されていない。 『延喜式神名帳』にもこの神社の名前は見えない。平安時代以降の創建の神社なのかもしれない。


お姿

 鳥居をくぐり参道を行くと、左側に出雲各地で採取されたヒ(けら:鉄の塊)が据えられている。 この中には近くの追神神社前にあったヒもあった。
 右側には池があり、小島には金儲神社と云う神社が鎮座、金持ちになった氏子の方の寄進のようである。 普通は弁天様の坐られる場所であろうが、中世以降に大発展した神社らしい雰囲気である。

 手水舎の奧に小さい泉が湧いていて、実にこれを甘露と云わずして何が甘露と云う水が湧き出している。 鉄の多い地域は米がうまいのだが、水もうまい。割り子そばもうまい。

 

並ぶヒ


お祭り

4月21日 例大祭


「平成祭礼データCD」金屋子神社 金屋子神社由緒


当社に伝わる「金屋子祭文雲州比田ノ伝」に依れば、金屋子神は、村人が雨乞いをしていたところへ雨と共に、播磨国岩鍋(兵庫県千草町岩野辺)に天降り、吾は金作りの金屋子神である、今よりあらゆる金器を作り、悪魔降伏、民安全、五穀豊饒のことを教えようと、かくして磐石をもって鍋を作り給うた。故にこの地を岩鍋という。だが、此処には住み給うべき山がなかった。そこで吾は西方を司る神なれば西方に赴かんとして、白鷺に乗って西国へ赴き、出雲の国能義郡黒田奥比田の山林に着き給い、桂の木に羽を休めておられるところ、たまたま狩に出ていた安部正重(宮司の祖先)が発見し、やがて神託により、長田兵部朝日長者なる者が宮居を建立し、神主に正重を任じ、神は自ら村下(技師長)となり給い、朝日長者の集めた炭と粉鉄(砂鉄)を吹き給へば、神通力の致すところ、鉄の涌くこと限りなし。とある。
明治七年に天田神社、同四十年に八幡宮外十社を合祀した。
以上

追神神社広瀬町西比田字追神 its-mo

道祖神か? 

追神神社
 


参拝 h14.6.4 10:10

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