小馬木宇佐八幡神社

島根県仁多郡奥出雲町大字小馬木796

鳥居

交通案内
JR 三成駅から小馬木行きバス小馬木下車 正面の小鷹山 mapfan


祭神 『神国島根』による。
誉田別命 配祀 息長足姫命、田心毘賣命、湍津毘賣命 市杵島毘賣命

摂社
伊勢神社「天照大御神」
六神社「大己貴命、五十猛命、素盞嗚尊、武内宿禰、経津主命、猿田彦命」
杉山神社「大己貴命」
板敷神社「樟日命」

『平成祭礼データ』
祭神 仲哀天皇 應神天皇 神功皇后

摂社
八王子権現「大己貴命」
板敷神社「樟日命」
若杉大明神「素盞嗚命」
金屋子社「金山彦命」
大森大明神「大己貴命」
山王権現「大己貴命」
貴布袮大明神「瀬織津姫命」
釼大明神「素盞嗚命」
乳子神社「少彦名命」
若宮社「仁徳天皇」
萩原権現社「經津主命」
若宮神社「日本武命」
本谷大山神社「大己貴命」
万九千神社「大穴牟遲命」
湯迫荒神社「素盞嗚命」

八幡社本殿


由緒
 『神国島根』によれば下記の通り。

 由緒不詳。 宇佐神宮古文書に「宇佐神宮御方霊を出雲国仁多小鷹山に奉仕せし」との記録がある。 延宝五年(1677年)以降の本社遷宮の棟札九枚現存、また明治初年まで出雲国造より別社一例格の待遇を受けていたとのこと。

 八幡神の勧請の年代は不明と云う事であるが、近隣の横田町には12世紀に石清水八幡宮の荘園となっているし、 信濃源氏の諏訪部氏が斐伊川下流の三刀屋郷、飯島氏が三沢郷に来住している。 北条時頼の兄の時輔領ともなっていたようで、この場合には鶴岡八幡宮からの勧請だろうが、中世以降、八幡宮の勧請が行われているようだ。 出雲は神々の国とされるが、出雲国風土記記載の神社の近くにはあまり他の神社は見当たらないような気がする。 作るまでもなかったと云う事だろうか。 民草の息吹を感じる風土記記事ではあるが、やはり権力者の産物、人々の神祭りへの大きい規制になっていたのかも知れない。

 五十猛命を祀る由緒は勿論わからないが、横田郷には伊賀武神社や鬼神神社と云う五十猛命に縁の神社が鎮座、三澤郷にもあり、 五十猛命を奉戴する人々が住み着いて金属採取や炭焼きを行っていたのかも知れない。

 小馬木鉱山はモリブデン、タングステン、輝水鉛鉱、鉄マンガン重石、水晶、ザクロ石を含む鉱石が出土していたようである。

摂社群 右の右端が伊勢社,他は不明
 

お姿
 村の中央の小鷹山頂に鎮座、低い小山である。 注連縄が玄関にある山裾の宮司宅前を回り込んで登っていくと神門に巨大注連縄が見える。あ!出雲だ!と思う。 広庭周辺は杉の大きい木がたつ。樫や五葉松は樹齢400年と云う。
本殿には木彫りの模様が見える。


お祭り

春祭  3月29日
秋祭 9月15日 例大祭


鬼の舌震

 大馬木川沿いの渓谷にある。
粗粒黒蜘蛛母花崗岩からなり,長年にわたる河川の浸食作用により深いV字型警告を形成。 この渓谷は断層節理に沿って浸食がすすみ,約2kmに渡って蛇行を繰り返している。 両岸の岸壁は節理面そのものは急崖をなして谷底に傾斜,谷底には巨礫が累積。 この巨礫の中には平らな面が残されているものが多く残されているのは節理面が残されている。

『出雲国風土記』によれば,阿伊(馬木)に坐す神、玉日女命を慕って和爾(鰐)が上って来た。 玉日女命は大岩で大馬木川をせき止め,会えなくしてしまった。 和爾(鰐)の女姫に対する慕情をして”慕山”(したひやま)と云う。

 渓谷沿いに歩行路がついており,時々水音がブルブルと,まるでふるえているように聞こえる。

鬼の舌震


参拝 h14.6.3 16:00

出雲の五十猛命
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