天健金草神社(あまたけかなかや)
隠岐郡都万村大字都万4245-3 mapfan

鳥居


二の鳥居

神門

交通
西郷港 バス1時間



祭神
大屋津媛命 抓津媛命 譽田別命
配祀 息長足媛命 玉依媛命 鹽土老翁 建御名方命


摂社 武内神社「武内宿禰 眞人神 春日大神」
飛び地 幣之池神社「抓津媛命」旧歴3月13日 弊之池水口祭


拝殿が見えてきた。


拝殿

由緒
 延喜式神名帳隠岐国三座の一。神代の昔、素盞嗚命の御子大屋津媛命・抓津媛命は御兄五十猛命と共に八十木種を植えしめて此隠岐の国土を開かせ給え、抓津媛命は狭山湧泉に坐し、大屋津媛命は大屋仙洞に坐ししと云う。

 社伝によると延喜六年(906)隠岐国坤方より猛風吹き起こる。時に天健金草神の託宣あり、曰く新羅の賊船数隻浮かんで北海にあり、我れ彼の賊を追退せんがための大風を吹かしむるものなりと、帆柱の木材等漂流して神威の赫ゝたるものあり¥し。

 是より先仲哀天皇の御代、神功皇后角鹿より発して西海に赴く時、颱風忽ち起こりて潮濤頻りに王船を襲ふ。この時、五十猛神現れて託宣あり、妹大屋津媛命・抓津媛命の二人をして皇后に奉侍せしめて表素碕(おもさき)に至る、即ち海風の起これる海上を吹浦湊と謂うと(今は福浦と訛れり)かくて涌井濱を過ぐる時颱風全く泙平ぬ。因てこの浦を諾浦濱といふ、今那久濱といふ。。浦口に神ありて諾浦媛神と云う。

 時に王船は海濱に到着す其の地を王者汀と云う。此の時又星神、天甕星神衆星と共に天降りて王船を防護せるの奇瑞あり、国司海人等を卒いて釆詣し、調物を献ず。皇后大に喜びて詔して日く『朕不徳なりと錐も神祀の霊恩を蒙り、下群臣の扶翼に頼り幸甚窮りなし』と則ち伊賀襲津彦をして五十猛神等を大山に祀らしむ。三女神は即ち大屋仙洞及び狭山涌泉に鎮座す。皇后


本殿


本殿

お姿
 杉の木々など緑の豊かな神社である。都万と云う地名は抓津姫にちなむ。


大屋のワンド(隠岐ジオパークブックから)


お祭り
  4月 15日  例祭

参考 『神国島根』、『式内社調査報告』

出雲の五十猛命
五十猛命ホームページ
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