須佐神社
和歌山県御坊市塩屋町南塩屋1878 ゼンリン



二の鳥居と赤い狛犬




交通案内
紀勢線  天王寺→和歌山→御坊
御坊南海本社前から稲原方面行きバス 道路:425号線
御坊駅前から印南行きバス 南塩屋下車徒歩30分 


 
祭神
素戔嗚尊、天照皇大神、五十猛尊


由緒
 旧別当神宮寺の「古記」によると、永延年間(8世紀末)、当地に大蛇が出没して人畜、作物に害を与え住民を困らせていた。 そこで熊野参詣の神道者の勧めによって、出雲の素盞嗚命の分霊を勧請したところ大蛇は退散したと言う。
 中世には武塔天神宮と号し、天満天神、武塔天神、蔵王権現の三座を祀る神仏習合の神宮寺となって栄えた。 山田庄九か村の鎮守として尊崇を受け、地頭、庄司などから田地の寄進も受けた。
 明治三年、神仏分離し社号を須佐神社と改め、神宮寺の社僧に代わって神職が置かれることになった。 明治六年社格を村社と定められた。明治四十一年神社合祀令により、氏子地域内の小社十四社が当社に合祀された。



お姿



社殿



お祭り
3月10日 は祭神の素盞嗚命のご神徳を称える「おとう祭り」という特殊神事があり、和歌山県無形民俗文化財に指定されている。 氏子五地域の五人の長男が1年間斎戒して、当日神前で大幣を振るって氏子の平安と豊作を祈願する。頭屋制の名残。
10月 9日10日 秋季例大祭

紀伊国名所図会より




紀伊續風土記 巻之六十七 日高郡 山田荘 森岡村から

○武塔天神社  境内周三百四十間
 本 社 表行一丈二尺   御輿舎   長床

上岡にあり 明神川南谷塩屋天田猪野々森岡七箇村の産土神なり
祭礼 正月十日 其祭を御當(オタウ)といふ。七村より毎村に十五歳以下の男子一人を出し祭式をなす 其当りしものは一年前より別火すといふ
南塩屋の浜に権現礒といふあり 天神勧請のとき影向の地といふ
古き祭文あり 其文によれば天満天神・武塔天神・蔵王権現の三座を祀れるなり
    社僧別当   神宮寺
産土神の側にあり 真言宗古義名草郡下宮郷紀三井寺末なり


 


和歌山県神社誌、平成祭礼cd、神社前の教育委員会の説明板


五十猛命ホームページ
古代史街道 紀ノ国編
神奈備にようこそに戻る