大屋大明神古宮趾
和歌山市北野  ゼンリン


お祓い山


交通案内
阪和線  天王寺→砂川で各停→紀伊下車
徒歩   北東へ5分 紀伊プリント工場の西に隣接

祭神
大屋都比売命


由緒
 祭神は素盞嗚尊の御子、五十猛命、柧都姫命と兄妹、樹種をこの国に播いた有功の神。祭神は山東から当地へ遷座、後更に宇田森へ遷座。

 和銅六年(713)に、山東の亥の森に鎮座していた五十猛命、大屋都姫命、柧都姫命の三神が分遷され、大屋都姫命は先ず当地に遷座ようだ。当社古由によれば、遷座地は宇田森の北五十計の北野村内の御祓い山である。後に、現在地である宇田森に遷座している。
 さて、北五十計の意味であるが、北五十町許のこととすれば、北に約五十町となり、これは北に5.5kmと言うことで、深く山中に至る。よく分からない。
 御祓い山は実在している。この山で椎茸栽培をしている方と山中で出会った。お家に電話してまで、山の名を確認下さった。さらに彼曰く、「昔の祀りの痕跡はないが、この辺りで行われていたと伝わっている。」との場所まで案内下さった。たしかに何もないが、竹藪にもなっていない。

 「この山は大屋都姫神社の所有物でしょうか?」との質問には、「そうだと思う。買いに来ましたか?」との逆質問、どうやら今は筍でも椎茸でもスペースを自由に使っているのかも知れない。買われたら困るのだろう。



  御祭神は、素戔嗚尊の神女で五十猛命の妹神である。 この神は妹神の柧都姫神命と、御父神の勅を奉じ、御兄五十猛命の神業を助け八十木種を筑紫の国より播き始め、 大八州国島の八十国残る隈なく播種し終り、当地に鎮り、木種播殖に著大な御功績のある神であり、樹木の守護神として御神徳もあつい。

 なかでも大屋都姫命は住宅、船、車、木具、薪炭など木製品の守護神として崇敬さている。

山中の石垣

お姿
 紀伊プリントの工場は稼働しているのかしていないのかよく分からない。
 山中をうろうろして奥の方の畑に出た。ここでは別の老人にであったが、探している主旨を話すと、『紀伊続風土記』には、この山だとは書かれていない。と。大和御前社の東の少し高い所とあり、そうだとすればそのインテリ老人の畑か住居辺りが大和御前社の旧地かも。

 宮司さんの情報によると、お祓い山の西に新池と言う池があり、その東側に大和御前社の小さい祠があり、10年ほど前まではそこで祀られていたようだ。

 小生も、大和御前社の東の小高い所と読んでいたので、現在の再建された大和御前社の東の史跡らしい所を探索して、上野廃寺跡を山中で発見、てっきりこれだと思いこみ、HPに仮アップしていた所、大屋都姫神社の宮司さんから、御祓い山だよ、とご指摘を受け、再度の探索に及んだ次第。

紀伊国名所図絵

上野廃寺跡
 

お祭り


紀伊續風土記 巻之九 名草郡 平田荘 北野村から


○大屋大明神古宮趾  境内周百二十間
村の艮大和御前の東少し高き所にあり 山上に方一間の祠あり 今村中の古き御祓を納むる所とす 即大宝中の遷座の地にして後今の宇田森へ遷し奉れるなり


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