甘樫坐神社
奈良県高市郡明日香村豊浦字寺内 mapfan

交通案内
近鉄橿原神宮駅東へ20分

祭神
八十禍津日神、大禍津日神、神直日神、大直日神
または大禍津日神、神直日神、大直日神、伊邪諾神、豊玉比売命
江戸時代からは推古天皇を祭神としている。

由緒
 古事記允恭天皇の段に、氏姓のの秩序を正すために盟神探湯を行ったとの記事があり、味白檮[うまかし]の言八十禍津日前に云々と出ている。 「ウマ」はまじないに関係する言葉のようである。祭祀に関わった物部氏の祖神とされる宇摩志摩治命や味饒田命の名も「ウマ」である。 古来、甘樫丘は「うらない」の聖地であったと考える。
 応神紀に武内宿彌が弟の甘美内宿彌と探湯を行い、勝ったとある。 武内宿彌からは蘇我氏が出ており、崇仏戦争の結果の予言のようにも読める記事である。

お姿
 甘樫丘からの眺望はすばらしい。古代の飛鳥の都が掌中に入り、大和三山を初め、三輪山、生駒山、二上山、葛城山が遠望できる。 大和大権の興亡の歴史を見続けた丘陵である。 上宮王家を滅ぼした蘇我氏はこの丘に要塞化した住処を構えたようである。 


本殿



境内にある飛鳥の謎の石造遺物 立石



お祭
 10月10日 盟神探湯神事


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