木積神社
京都府与謝郡与謝野町字弓ノ木408番 ゼンリン

鳥居



交通案内
北近畿タンゴ鉄道宮津線岩滝口下車 西1500m

祭神
五十猛神 配神 大物主神


由緒
 延喜式内社である。木積山王社と呼ばれた。隣の大宮町久住にも木積神社が鎮座している。ここには億計王、弘計王が祀られている。
 宮津市内に日吉神社が鎮座し、やはり山王社「大山命、大己貴命」と呼ばれていた。また日吉神社の境内摂社には杉末神社「大物主命」があり、式内社論社である。
 木積神社の南の野田川町は物部氏の祖神を祀る式内社が鎮座、また北には丹後一宮とされる籠神社が鎮座し海部の祖神の天火明命が祀られ、また浦島子や元伊勢の伝承も多く、この付近は古代史の要所と言える地域である。邪馬台国を訪問する魏使はここから大和へ陸行したのではないかと考えている。

本殿

 伴とし子氏の著作『古代丹後王国はあった』からの孫引であるが、籠神社に伝わる「海部氏勘注系図」の秘伝とされている海幸山幸神話では天火明命が弟の山幸彦であり、すなわち彦火々出見尊である。時に弟、釣り針を海中に失う。塩土老翁来たりていわく。即ち、火明命、竹籠に入り、海に沈む。豊玉姫命、その子の端正なるを聞きはなはだ憐重す。妹玉依姫命を遣わし養うは、即ち、武位起命[たけいたてのみこと]なり。とある。
 ここでは彦火明命=彦火々出見尊、その児武位起命=不合尊、その児宇豆彦命と神武天皇が対、其の児が倭宿祢命、孫が難波根子健振熊命、その児が健振熊宿祢で、丹波国造等祖となっていると読める。また彦火明命の児は天香語山命とされているが、別名が武位起命であり、すなわち五十猛命と同一神と見なされていた事がわかる。
 武位起命が祭神である神社は以下の二つが出てきている。神社庁CD。
 豊後 海部 大分県北海部郡佐賀関町大字関1812番地 椎根津彦神社「椎根津彦命 配 武位起命、稻飯命、祥持姫命、稚草根命」
 越前 丹生 福井県丹生郡朝日町佐々生30-1     佐々牟志神社「鵜茅草葺不合神、神倭磐余彦尊、椎根津彦、武位起命」
7世紀に帝紀や記紀がまとめられたが、それらはその時代以前の約1,000年の間の出来事と、その伝承が集約されたのであり、継体天皇以降の天武・持統朝の政治的立場を反映したのもであろう。 記紀のお墨付きがもらえる説でないと、なんとなく「あやしい」説に聞こえるのは、一般的な風潮であるが、やはりこれを乗り越えていき、真実にすこしでも近づきたいと思う。



  お姿
  野田川の出口に鎮座、急な坂道を上り詰めた山裾にある。社域には木々が深く、また石段には苔がむしている、実に神々しいお社である。


社域



祭り
例祭   4月30日 2日間  太刀振り 5月1日には神楽が奉納され太刀振・笹ばやしの神事が行われる。
秋祭り 10月下旬の日曜日

五十猛命ホームページ
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