難波八坂神社
大阪市浪速区元町2-9-19 its-mo

南の鳥居



交通案内
難波駅 南西500m

祭神
素盞嗚尊、奇稲田姫命、八柱御子命
それ以外多くの神々

由緒
 古来、難波下の宮と呼ばれていた。仁徳天皇の御宇、難波の地に悪疫流行した時に、この難波の浦の万木森々たる所の松ノ樹に牛頭天王の霊地との文字現れ、ここに社を設けて大神を祭祀したと伝えられている。 また、姫路の広峯神社より京都の八坂神社へ勧請する際、神々がこの地に到着されたのでお祀りをしているとの地元の方の説明があった。 創建年代は不詳である。元佛寺であり、七堂伽藍巍々として聳えて寺院十二坊を数えた。今の大門坊深妙寺はその一である。

 『摂津名所図会』には、「本尊は深沙大王を祭る。これ多聞天の化現なり。」とある。

 さて、五十猛命をお祀りしている神社を紹介する試みのこのページに、五十猛命もその一神である八柱御子をまとめて祭神としている神社を入れると、その数は相当に増加する。 選定基準を明確にしておく必要があるのだが、大阪、京都あたりは近場でもあり、五十猛命を祀る神社が少ない事もあるので、取り上げることとした。五十猛命の神徳より素盞嗚尊の神徳で祀られている場合の方が多いので、五十猛命を奉ずる人々の歴史を知っていくには、寄り道となる。

大獅子殿

お姿
  大阪南の町衆が神社造りをすればこの様になると思われる典型的雰囲気の神社である。古来、綱引きや獅子舞が盛んに行われていた祭り好きの人々はついに大獅子殿を建ててしまったのである。 なやみごと、やくよけはこちらで祈願しましょうと神社のパンフレットにも書かれている。画面の左隅の人々や自動車と比べてみて下さい。


拝殿

 拝殿の両側には大きい石碑があり、素盞嗚尊が神剣を獲られた事、和歌を初めて詠まれた事を称えている。
 境内には木々が多く、難波の町中に当たるが、やはり神域は落ち着いたたたずまいである。

 所で、とてつもない話がある。出所は言えませんが、この神社には実際に神々が出現するそうだ。
 とある別の神社の神職さんがこの神社の神職さんと話をしていたら、しきりに二階のほうが騒がしいので、「二階にどなたかがおられますか?先ほどから走り回っているような音が聞こえますね」と申し上げたら、 「あー、あれは式神です。遊んでいるのでしょう。所で、ご覧頂いたと思いますが、この建物には二階はありません。」

 もうひとつは目撃談です。そのよのと神職さんが本殿前の廊下を歩いていたら、白装束の一見宮司さんかと思われる方とすれ違い、脇によけて一礼をしました。 宮司さんは、本殿の奥の方へ進んでいきました。「あれ?今日は宮司様は不在と聞いていたのに」と思って、この神社の留守番の神職さんに「宮司様はお戻りになっていますよ」と申し上げたら、 「いや、今日は戻りません。」「しかし、今お目にかかりましたよ」「あ、また出られましたか。かの方はこの神社の神様です。外出からお戻りになったのでしょう」「えーえ!!」 「私などは良くお見かけします。神様の位ではさほど高い位の方ではないようです」 と、門外漢には不可解なことがあるそうです。

本殿

お祭
例祭 7月14日 10月14日


摂津名所図会

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