武蔵の五十猛命 神奈川県横浜市

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 神の鎮まる川「神奈川」を県名に持つ、神奈川県での五十猛命を奉じた人々の足跡をたどる。この地に入植し開拓に従事した出雲族の人々が祈 ったのが、樹木神・浮き宝の神・命の神としての五十猛命であった。



横浜市西区
中央1 杉山神社

横浜市神奈川区
片倉町 杉山神社

六角橋 杉山大神
菅田436 杉山神社
菅田 神明社
羽沢 神明社
東神奈川 熊野神社

横浜市鶴見区
岸谷 杉山神社

鶴見中央 鶴見神社

横浜市港北区
岸根町 杉山神社

大豆戸 八杉神社
新吉田 杉山神社

横浜市都筑区
茅ヶ崎 杉山神社

中川 杉山神社
勝田 杉山神社
大熊 杉山神社
佐江戸 杉山神社
池辺 杉山神社

横浜市青葉区
市ヶ尾 杉山神社

千草台 杉山神社
みたけ台 杉山神社
あかね台 杉山神社

横浜市緑区
西八朔 杉山神社

中山町 杉山神社
寺山町 杉山神社
三保町 杉山神社
青砥 杉山神社

横浜市保土ヶ谷区
西久保町 杉山神社

星川杉山神社
和田杉山神社
坂本町杉山神社
上星川杉山神社
川島杉山神社








 杉山神社
横浜市西区中央1ー13ー1 ゼンリン



交通案内
京浜急行戸部駅 南西500m、西横浜駅より国道1号線を北へ500m、西区役所入り口交差点を東へ200m

祭神
 大己貴命(当地開拓の祖神)

お姿
  白鳳3年、出雲大社より勧請したともの伝え、また延喜式内社は当社であるとも伝えられている。 当神社の効顕著るしくを持って各近隣に杉山社が多くなると神社の説明の碑文には記されている。
 雉子川の河口に近く、この川沿いを開拓していった人々は最初はこのあたりに住んだのかも知れない。それから時を経るごとに上流に新天地を求めていったと考えるのは自然である。
町並みの中に、厳かに鎮まっている。 




お祭
 8月20日 例祭

 杉山神社
横浜市神奈川区片倉町459 ゼンリン

交通案内
市営地下鉄3号線片倉 南東100m 小学校横  

祭神
大物主命

 口碑によれば往昔元宮 (もとみや) 辺にあったものをいつの頃か今の地に遷座したと伝へられている。
 杉山神社は殆どが高台に鎮座しているが、この社は坂の途中といった地形である。遷座の伝えが残るのもうなずける。
 本殿近くには木々が少ない。石段や鳥居の付近には杜が残っている。



お祭
例大祭  9月24日

 杉山大神
横浜市神奈川区六角橋2−31 ゼンリン

交通案内
市営地下鉄3号線岸根公園 南800m神橋小学校北側  

祭神
大物主命 配 日本武尊、天照大神

 口伝によれば景行天皇御代、日本武尊の東夷征伐の砌、この地の久応庵に宿らせたまい、六角の箸でもって御膳をとらせられ、その後、そのお箸に天照大神、日本武尊と記して、神に祈られたという。
 杉山神社は殆どが高台に鎮座している。この社も鶴見川からは離れているが、やはり高台にある。名木古木指定のけやきがある。石段横にもそうとうなけやきがある。




お祭
茅の輪神事 6月30日
例大祭   9月15日


 杉山神社
横浜市神奈川区菅田町436 ゼンリン



交通案内
横浜線鴨居駅 南東2000m ひまわり団地バス停 石段上がる。

祭神
五十猛命

お姿
  急な石段を上ると社地がある。狭い。社殿も拝殿も、隣家のものと思われる日用品が置かれ、猫がひなたぼっこをする庶民的な雰囲気である。 拝殿正面には「杦山宮」と表示されている。
 将軍徳川吉宗の時代に建立されたと伝わる。背山の頂に「大口真神」=犬神様が祀られていた。

 秋の例大祭は9月28日前後の日曜日となった。


 神明社
神奈川県横浜市神奈川区菅田町2568 ゼンリン

鳥居

交通案内
市営地下鉄3号線 片蔵下車 北西1700m



祭神
天照皇大神、五十猛命
摂社 三嶽社「日本武尊」、杉山社「五十猛命」、日枝社「大己貴命」、稲荷社「稲荷神」

拝殿



由緒
 『平成祭礼CD』から。
 由緒は詳かではないが、新編武蔵風土記稿に「神明社は字十三塚にあり、鎮座の初めを知らず。村の鎮守なり。巽に向う。社前半町許の間、左右に松を並べ植、入口に石の鳥居をたつ。例祭八月二十六日。村内最勝寺持」とある。明治六年村社に列せられ、大正十五年神饌幣帛料供進社に指定さる。明治四十二年再建。昭和四十六年十月、本殿、拝殿、社務所等を新築、境域の整備を完成した。

 社頭掲示から
 古来より菅田町の総鎮守であり、元旦祭や秋の大祭などが、地域の人々の参加を得て行われます。

本殿


お姿
 社頭掲示から
 アカガシやモチノキなどの市指定名木・古木が織りなす、トンネルのような参道を進んで振り返ると、鳥居越しに広がる畑の緑が鮮やかです。

 神明社らしく東向きに鎮座。周辺は丘陵地帯で黒い土の畑が多い。眼下には武蔵野の森が残っているように森が点在している。楠、松、銀杏などの木々も多い。

摂社群

お祭
 9月 第三日曜日 例大祭

 神明社
神奈川県横浜市神奈川区羽沢町916  ゼンリン

鳥居

交通案内
市営地下鉄3号線片倉町下車 東へ1500m



祭神
天照皇大神、素盞嗚尊、大物主神、伊弉諾尊

拝殿



由緒
大正5年に合祀した村内の神社
 聖天の杉山神社、具行の蔵王権言、羽沢の熊野神社、綿打の杉山神社
 二社の杉山社を合祀している。祭神から見ると素盞嗚尊、大物主神であったのかも知れない。一社位は五十猛命であってもおかしくはないのだが・・・

 創建の由緒は不明であるが、延宝年間(1673〜1681)には鎮座していた。

本殿


お姿
 西向きに鎮座、夕陽神明なのかも知れない。文政六年(1826)の石灯籠が立っている。また境内にはお寺のお堂がある。維新前に別当であった東泉寺、青連寺の一部であろう。
 大きいタブノキが二本ある。神社の南側に木々が集中。

石灯籠・お堂・拝殿

お祭
 7月 15日 に近い日曜日 天王祭(虫送り神事)
 9月 16日に近い日曜日 例大祭



 熊野神社
神奈川県横浜市神奈川区東神奈川1-1  ゼンリン

鳥居

交通案内
JR東神奈川駅下車 南へ300m



祭神
国常立尊、伊邪那岐命、伊邪那美命
合祀 天照皇大神、素盞鳴命、大己貴命、少名彦名命、武御名方命、五十猛命、大物主命、倉稲魂命、速玉之男命、船玉之神

拝殿



由緒
 創建は寛治元年(1087)六月、醍醐三宝院勝覚僧正六十八代が紀伊国牟婁郡熊野坐神社を分祀、神奈川権現山に勧請、熊野三社大権現と号す。天正十年(1582)徳川家康公武州小机領神奈川郷の内御朱印高一〇石を賜う。正徳二年(1712)別当金蔵院の境内に遷し奉る。明治一七年郷社に列す。(『神社名鑑』昭和三十六年)
 権現山は北条早雲が上杉為影(謙信の父)と手を結び、武蔵に侵入した時、上杉側は権現山に城を構えた。

 拝殿に合祀社名が貼られている。金刀比羅社、大鳥社、稲荷社、香取社、鹿島社。

本殿


お姿
 金蔵院の前の道を通り、南側に回る。狭い道に南向きに鎮座。
 朱色の社殿は戦後の再建。御神木の公孫樹(いちょう)の古木が残っているとの説明板があるが、どれかはよくわからなかった。

 永享五年(1433)の『熊野那智大社文書』に「武蔵国かな川のゑとやのふるい」などを紀州熊野の実報院へ売却したことが記載されている。

真言宗金蔵院

お祭
 8月 17日 例大祭

由緒 平成祭礼データから

御由緒概要

 当社の御創建は、寛治元年六月十七日(一〇八七年)に醍醐三宝院宮勝覚僧正が、紀伊国(和歌山県)牟婁郡熊野に坐す熊野権現(官幣大社熊野本宮大社)の神霊を分祀、神奈川権現山(現幸ヶ谷山上)に社祠を創立、神奈川郷の総鎮守として、熊野三社大権現と号し奉る。
 口碑によれば、後三年の役に、源義家公、社参せられ、帰途再び当地に立寄られ、この地を幸ヶ谷と名付けられたと伝へられる。
 その後、応永五年、山賊等のため社祠を焼かれ、僅に草祠ばかりが存していたが、明応三年六月(一四九四年)、上田蔵人が普請奉行となり、宏壮なる社殿が再建せられた。
 又、永正七年六月二十日(一五一〇年)、権現山合戦の砌、兵火に罹り、烏有に帰してしまった。 次で、天正五年六月(一五七七年)、時の別当恵賢僧都等が相はかり社殿を建立し奉る。
 天正十年七月、徳川家康公北条氏を御坂黒駒に討ち給いし時、別当が社前に侍し、秘法を修し奉りしことなど、徳川家との関係深く、別当金蔵院に武州小机領神奈川郷の内、御朱印高十石を賜ったので、代々登城し、御祈祷の宝牘(ほうとく[おふだ])を献上し奉ったと伝へられる。
 その後、正徳二年六月(一七一二年)、山上が逐次崩壊により、別当金蔵院の現地へ遷し奉り、旧地には小祠を安置し、社地三反八畝十歩を有していたが、明治四年、之を上地す。
 慶応四年一月七日(一八六八年)、神奈川大火により烏有に帰したが、逐時再建整備し、明治十七年に郷社に列せられ、明治四十年四月、神饌幣帛料供進社に指定せらる。
 昭和十一年八月、御鎮座八百五十年祭を斎行、二十数台の山車が町内を巡行し、盛大なる祭礼が繰りひろげられた。
 昭和二十年五月二十九日、戦災により焼失、剰え、境内地をも駐留軍に接収せられたるため、やむを得ず西神奈川一丁目(二ツ谷町共有地)に遷座、仮殿にて奉祀す。
 同二十七年八月、宮神輿を奉製、その後、接収解除となり、再建復興に努め、同三十八年八月、現社殿を完成。遷座祭を奉仕し、玉垣、社務所を整備、翌三十九年八月、竣工奉祝祭を執行した。
 その後、四十一年十一月、地区内戦没者慰霊碑を建立、同四十九年八月再建十周年記念事業として、舞殿並に氏子会館の増改築工事を完成した。
 昭和六十一年、御鎮座九百年祭に当り、記念事業奉賛会を結成し、氏子二十四ヶ町の氏子並に崇敬者各位の熱誠奉仕により、御社殿の修復、手水舎の新築、神輿、神輿庫の修理増築、参道敷石、氏子会館の修理、裏門〆柱等を完成し、社域の整備を達成した。謹んで御事歴の概要を誌し奉る次第であります。
以上



 杉山神社
横浜市鶴見区岸谷1845 ゼンリン



交通案内
京急本線生麦駅 北JRを渡り、西へすぐ

祭神
 日本武尊

御由緒(神社本庁平成祭りデータCDから)
 御祭神は第十二代景行天皇の皇子として生れ終生を国の平和と民の安泰のために尽されました。
 「蝦夷、熊襲しずめ給いし皇王子のたけきいさおは千代にかゞやく」の歌の如くであります。
 当社の創立は古くてわかりませんが、天正二年、生麦町村社に位し度々改築され享保九年、天明元年の水鉢、石鳥居があり、高い石段は明治十年に出来ました。 現在の社殿其他の建物は昭和十二年以後悉く新築されました。

お姿
  急な石段を登る。拝殿の横は幼稚園、境内はその運動場となっている。幼い子供達が神社の境内を思い出の場所としていくのは素晴らしいことである。 若い先生方にお願いしたいのは、その神社に対する感謝の心が園児達に自然に身に付くように、先生方も神社に感謝と崇敬の心を持ってほしい。
 神木の楠の木、杉の木は見事である。本殿も厳かである。




お祭
例大祭り 8月 第1土曜日



 鶴見神社
横浜市鶴見区鶴見中央1ー14ー1 mapfan



交通案内
鶴見駅 駅東側線路ぞいに北へ300m

祭神
杉山大明神 五十猛命 別称 こだねの神
牛頭天王宮 素戔嗚尊
 摂社 大鳥神社  境内社 三家稲荷社、秋葉神社、関神社


由緒
 昌泰年間(898〜)の創建と言う。大正9年杉山明神を鶴見神社と改称。  境内から弥生後期から古墳時代、鎌倉時代までの祭祀遺物が発見されている。往古より神聖な地と見なされていた。

 天王宮の御輿は鶴見川に流れ着いたと言い伝えられており、横浜最古の御輿である。

お姿
 本殿拝殿とも風格がある。富士山溶岩を礎石としている。JR線路を背にしている。東向きである。




お祭
杉山祭  4月29日(鶴見の田祭り)
天王祭  7月第四 金、土、日曜日



 杉山神社
横浜市港北区岸根町377 ゼンリン

交通案内
新幹線新横浜駅 南800m岸根高校北側  

祭神
五十猛命、大山祇命

 昭和62年にコンクリート製の社殿に再建している。境内は清掃が行き届いており、すっきりとした気持ちの良い神社である。 楠、銀杏、杉、槙などの木々が多く植えられている。
 地域の高台に鎮座、付近には赤土が見える。




 当社には寛永十八年(1641)の棟札が残されている。


お祭
例大祭  10月1日 二日間

あかね台ネットから

御由緒

 今を去る大永五年九月(西暦一五二五年)伊豆の国の住人岩田五郎右エ門がこの地に移住した時鎮守として勧請したと伝える。大正十三年十月(西暦一九二四年)山王山に鎮守せし山王宮由来不詳祭神大山祇命を合祀。昭和五十五年十月(西暦一九八〇年)社殿を新築し今日に至る。
  以上

 八杉神社
横浜市港北区大豆戸町239 ゼンリン



交通案内
横浜線菊名駅、東急東横線菊名駅 北西300m 岡を回り込む。 

祭神
 八王子社 国狭槌命
 杉山神社 大山祇命、外人神、日本武尊
  摂社  羽黒大明神
 合併社である。武蔵風土記には大豆戸の総鎮守とされている。

 杉山神社の外人神であるが、ほかの杉山神社の由緒からみて、五十猛命を称しているものと推測できる。 これは、父神である素戔嗚尊とともに、高天原から木種を持って韓国に天下り、そこには蒔かず日本に持ち帰ってこの国の山を青くした神として見られている事から、 海を渡ってきた神として、その頃では、今の韓国朝鮮への重いとは全く違った思いをこの国の人々は持っていての崇敬の気持ちであったからであろう。

お姿
  人間生活の根源を支える神であり、開発指導・文化の生みの親神として、崇敬されている。イチョウと楠の古木は県指定、町中にしてはたたずまいの良い神社であるが、本殿の上の丘にまで人家がきている。



あかね台ネットから

御由緒

 大豆戸町安産鎮座、八王子社、御祭神国狭槌命、大豆戸町大西鎮座、杉山神社、御祭神、大山祇神、外人神、日本武尊、当社創立については詳かではないが武蔵風土記に記載の通り古くより同所の鎮守として崇敬を集めていた古社である。神社制度の改革に伴い神社の尊厳保持、祭祀の厳修を計るために杉山神社を八王子社へ合併し八杉神社を創立した以降も、当町の氏神様として、五穀豊穣、家運隆盛、商売繁盛、無病息災、厄難消除等の神として御霊験あらたかにまし々衣食住等人間生活の根源を開発指導せられ文化の生みの親神であられます。
  以上


杉山神社
横浜市港北区新吉田町4509

交通案内
東急東横線綱島駅 西2000m 山の裾 ゼンリン

祭神
五十猛命
配神 権五郎景政霊、北野聖廟、素戔嗚尊
 摂社 稲荷様、天神様
 都筑郡新田村吉田の郷社である。
 房総半島からここへ移転した一族が祀ったとの説がある。式内社の有力候補の一つである。
 武蔵式社記に、「都筑郡吉田と云うに杉山という小地名ありて其の処に座す社実蹟なり」とあり、新編武蔵風土記稿には、「除地二段五畝、村の北方にあり、石階数級を登りて社前に鳥居を立つ、本社二間に二間半、拝殿三間に二間、南向、神体不動、村内正福寺の持」と記している。

お姿
  稲坂の田舎の風景と人情が残る地域にある。石段は高い。良い雰囲気の神社で、地元では大切にされている様に見受けられる。 カヤの木が古木として指定されている。
 この地の小字に「杉山」があり、居住千年以上に及ぶとの口碑を持つ森家と言う旧家のみあって昔から他に一軒もなかったこと、森家の背後の丘陵に浅間塚なる円墳があることにより、ここを式内社の最有力候補としている。*1

 北川貝塚遺跡がでている。早渕川の南岸に突出した舌状台地、標高25mにある縄文期の貝塚を始めとする複合遺跡。その後の調査では、先土器時代の石器群一、縄文早期の炉穴八、前期の住居跡一四、中期の住居跡一三などと弥生後期の住居跡までの複合遺跡である。特に縄文前期の住居跡内部には貝層があり、貝塚は経100mの環状をなしている。

例祭 10月9日



*1 日本の神々11(川口謙二)白水社、歴史地名辞典



 杉山神社
横浜市都筑区茅ヶ崎町 ゼンリン



交通案内
市営地下鉄3号線 センター南駅下車北西500m

祭神
五十猛命
配神 天照大神、倉稲魂神、素戔嗚尊

 都筑郡茅ヶ崎村の郷社であった。
 武蔵風土記にはこの社を式内社としている。これによると「忌部勝麻呂が天武天皇御宇の白鳳三年秋九月、神託によりて武蔵国杉山の地に太祖高御産巣日大神、天火和志命、由布津主命三柱の神を祀り杉山神社と號す・・」とある。 現在の祭神と全然違っている。また一説には日本武尊を祀るとの伝えもある。

お姿
  早淵川を北に見下ろす丘に位置している。東下に石鳥居、中段に朱の両部鳥居が立つ。社殿は簡素で老木が多い。 現在(平9.4)石鳥居の前の石橋を修繕中である。また北側には植林をしている。周辺は港北ニュータウンの宅地開発が進み、良い憩いの場となってこよう。
 神社の後ろの山から土器が出ている。
 吉田東悟『地名辞書』によれば、「当社の御神体は円経10cmの銅の鏡に不動の像を刻んだもの。」と云う。
例祭 10月13日

あかね台ネットから

御由緒

 勅願所式内武蔵國都筑郡之一座當國三ノ宮枌山神社祭神由布津命 傅記云由布津命ハ天日鷲命之孫也 天武天皇白鳳三年九月堅田主命二十代ノ孫忌部勝麻呂依御霊而奏天朝武蔵國枌山乃國ニ立神籬右大神ヲ奉リ枌山社ト號シ奉ル 勝麻呂ノ弟義麻呂祭主トシテ奉仕 麻ノ貢ヲ奉リキ仁明天皇承和五年預宮幣ニ嘉祥九年五月授従五位下封田ヲ寄玉フ 遥後元暦二年正月廿一日依御願而従鎌倉殿御奉幣有之タリ鎮座記元一千二百十余年也
 合資由来 昭和四十三年十月八日 神奈川縣指令之第二九三四號ヲ以テ御認可 神奈川縣都筑郡中川村茅ケ崎字境田二〇九八番地村社枌山神社祭神五十猛命 被合併神社同東前八〇八番地無格社神明社祭神天照皇大命 同字八二五番地天王社祭神素盞鳴命 同字六二七番地稲荷社祭神稲倉魂命 右三社ハ村社枌山神社に合祀 空社地立木ハ村社基本財産ニ編入本社ノ経営成 大正九年十月指定村社ニ昇格 同年十月十三日中川村長供進使トシテ奉告祭ノ式ヲ挙ゲタリ碑ヲ建テ以後世ニ傅フ
 大正九年十月十三日 氏子中  二子石工小俣刻




 杉山神社
横浜市都筑区中川 mapfan



交通案内
市営地下鉄3号線 センター北駅下車北西300m

祭神
日本武尊、五十猛命
配神 伊弉諾命、伊弉册命、橘姫、応神天皇


石碑が立っている。



由緒
 安政三年の氏子中の石碑で式社を標榜している。当時の村人達の鎮守社への思いが察せられる。 昔から社地を変えている。現社地には平成六年に遷宮し、翌年遷宮の式典が行われている。四遷目である。 以前の社地のあった山は建設会社の物置が頂上付近まで来ている。鎮座してい場所は未だ雑木も生えず、神域の雰囲気がある。旧社殿も大変荒れていたようで、最近の人々の鎮守社への思いが嘆かれる。 現在は遷宮して立派な社殿である。一時的に金を集め、新しくするのは出来る。しかしそれを維持していくのはやはり「思い」であり、こんどこそ頑張ってほしい。古来より創成より守りを難しとしている。
 御祭神についての遷座の碑文の一部を紹介しておく。「御霊璽については杉山神社に最も由緒深いとされている和歌山県の伊太祁曽神社へ赴き親しく御分霊を受け五十猛命の霊璽を拝受し、御主神日本武尊と並び崇め祭る」とある。

収支報告
収入  移転補償費 30百万円
    社地売却 150
    氏子寄付  50   計 230
支出  社殿神具 137
    鳥居大小   9
    社務所他  28
    諸整備費  20   計 194

お姿
  早淵川を南に見下ろす丘の中腹に位置している。丘の上部はニュータウンになりそうである。木々はまだ大きくなっていない。 小生の知る限り、ガソリンスタンドに最も近い場所にある神社である。

例祭 10月15日

あかね台ネットから

御由緒

 横浜市は昭和四十年二月、六大事業の一つとして「横浜国際港都建設事業 横浜北部新都市土地区画整理事業」を発表。同四十九年建設大臣の事業許可 横浜市高速三号線の免許取得。着工に至る。
 杉山神社は中川町一〇八四番地から同町七五七番の元吾妻社の弥地へ五十八年十一月三十日仮社殿を設けここに鎮座し、元旦祭、大祭は此処で執行された。換地も間近く建設委員会の結成に着手 資金計画に入る。移転補償金と寄附金を念頭においたが、神社地の一部八〇坪を売却し基金とすることに結し、その承認を神社本庁に申請し、同時に社殿 社務所 鳥居等の新築 改築 移築をも承認された。
 平成四年四月 中川町一一九四番地に仮換地指定され社殿は木造と結び翌六年九月竣工し 同十月十三日祭神勧請と配神遷座式を行い社務所 鳥居附属建物 植栽等の完成を待ち平成七年十月十五日遷宮式典と落慶祝賀に及ぶ。
 御霊璽については杉山神社と最も由緒深いとされている和歌山県の伊太祁曽神社へ赴き親しく御分霊を受け五十猛命の霊璽を拝受し御主祁神日本武尊と並び崇め祭る。
  以上



 杉山神社
横浜市都筑区勝田 mapfan



交通案内
市営地下鉄3号線 センター南駅下車東1000m、中原街道勝田消防署前西入る。

祭神
五十猛命、日本武尊
境内社 日枝神社 大己貴命、 稲荷神社 倉稲魂命、八幡大神 応神天皇、稲荷明神 倉稲魂命、神明大神 大日靈貴尊、稲荷明神 倉稲魂命

由緒
 神躰は不動、木の立像長さ八寸との事である。 平成四年に社殿再建境内整備を行っている。

支出  社殿本殿 158 百万円
    稲荷明神  18
    社務所   24
    境内整備  86
    諸経費   36   計 322

お姿
  早淵川の南にあり、近くに最乗寺がある。木々が豊かで趣の良い神社である。力石がある。
例祭 10月18日




 杉山神社
横浜市都筑区大熊町497


交通案内
市営地下鉄3号線新羽駅 西南西1200m ゼンリン

祭神
日本武尊、天御中主命、イザナギ命、イザナミ命、面足命、稲田姫命、天照皇大神
 白水社の日本の神々(谷川健一)11巻関東編によると、杉山神社の祭神として、五十猛命と日本武尊が多いとし、五十猛命は木の神・植林の神であることから杉山の「杉」に付会したもの、また日本武尊は関東に広い東征伝説に付会されたものとしている。 しかし、出雲族である杉山一族が移住したとの伝承もあり、彼らは開拓者の神五十猛命を奉じていた可能性も多く、鎮守の神に一族の名に付会した神を選択して、長くお祀りができるものだろうか。人間は祖先を選択できないように、神を選択できないのではと思う。
 また五十猛命の名と日本武尊の名を混同していった可能性もあろう。

お姿
  小高い丘にある。周辺は田園である。大熊郷の総鎮守である。神木は楠の木である。例祭は9月29日。


あかね台ネットから

御由緒

 創立年代不詳であるが往古より当地の鎮守として住民の信仰の中心となっている。  新編武蔵風土記稿に「村の南丘上にあり社二間に四間東向なり社前に石の鳥居をたつ」云々。  「熊野社」当社は承平年中 平将門宿願によりて不思議な悪夢を蒙り此の社に七日参籠せる夜 不動閻浮檀金の観音を授かり夫より将門威勢盛になりとぞ」云々とあり。
 明治六年村社に列し同四十二年六月村内の熊野社、面足社、御歳社を合併 後神明社をも合併した 大正十一年九月神饌幣帛料供進社に指定される。
 氏子の崇敬すこぶる篤く五穀豊穣 産業発展 家運隆昌 厄難消除等の神として霊験あらたかな尊神であります。
  以上

 杉山神社
横浜市都筑区佐江戸町 ゼンリン



交通案内
横浜線鴨居北西1000m 中原街道佐江戸神社前西

祭神
五十猛命
境内社 稲荷社

 佐江戸城主猿渡氏が城の鎮守のために勧請したものと伝えられている。

お姿
 手の込んだ彫刻や軒周りの木組、黒く塗られた様は、周囲の木々と調和し、古いたたずまいを醸し出している。住宅地を見下ろす小高い丘の上に鎮座、すぐ下が無量寺である。


本殿



お祭
例大祭  9月17日

 杉山神社
横浜市都筑区池辺町2718 ゼンリン


交通案内
横浜線鴨居北1200m 中原街道池辺町東入400m

祭神
五十猛命

 創立年代不詳なれど古来池辺町の鎮守として崇敬されている。
 境内には石塚があり、七五郎なる者の力量抜群で評判を博し、それを伝えるべく地雷石を置いている。220kg、さし石は150kgである。

お姿
 木の豊かな小さい社である。

下 本殿



お祭
例大祭 9月20日

あかね台ネットから

御由緒

 創立年代不詳なれど古来池辺町の鎮守として崇敬されている。明治六年十二月、村社に列し、大正九年十二月二十二日、神饌幣帛料供進社に列す。

 昭和三年 昭和天皇御大典の儀式を記念して神社本殿の大改修がなされた。以来七十五年たび重なる修理も老朽化し建替えより他に方法なしとの町民多数の賛同を得て、この度改修の運びとなった。
 ここに吾等の守護杉山神社の長い歴史を紹介し後世に伝えるものである。

 社号 杉山の木立の中に奉られその霊験あらたかなるをもって命名されたと伝えられる
 祭神 初代の御神体は不動明王であり五十猛命。素盞嗚命の子。有功神なり
 面積 三千五十七平方メートル 昭和六十三年法務省令により移記都田中学校の一画を担う事になった
 建立 元文六年十一月(一七三六)と推定される
 例祭 元旦祭 二月祭 九月祭 十一月祭 がある
 特に九月祭は大祭として盛大に行われる
 併設神社 八坂神社 鹿島社 愛宕社 稲荷社
 鳥居 最初は木造の鳥居で大正4年に石造り 大正十二年の九月大震災で倒壊 大正十五年一月に再建された
 神楽殿 昭和二十二年十一月に建設された
 狛犬 昭和三年に寄贈された
 平成の改修 平成十五年7月長野県(株)上林工務店により施工落成し拝殿は新築は覆い殿は改修した
 平成十五年七月吉日
  以上

 杉山神社
横浜市青葉区市ヶ尾641 ゼンリン

交通案内
東急田園都市線市ヶ尾 南800m 東名高速をくぐる  

祭神
五十猛命


インターチェンジが出来つつある。境内には樫、椿などが僅かに植えられている。

 この地域には曹洞宗朝光寺があり、開基は天文十一年(1542)没の上原勘解由左衛門。真言宗豊山派東福寺は九石余の朱印地を受けた。杉山神社は村の鎮守、他に八雲神社がある。

 杉山神社の分布するこの地域全般には古代の遺跡が多い。おそらくは縄文時代以前から現代までに続く人々の生活の足跡が認められる。多くの杉山神社とは直接は関係がないのだろうが、最古の杉山神社が見つかれば、ご祭神も含めて面白いことになりそうだ。



お祭
例大祭  9月15日

 杉山神社
横浜市青葉区千草台17-2 ゼンリン

交通案内
東急田園都市線藤が丘 南東1000m

祭神
五十猛命
合祀 素盞嗚命、大日靈命、豐受姫命、大己貴命、保食神

 新編武蔵風土記に下谷本村鎮守と見え、徳川初期の創立と推定される。鶴見川を見おろす高台に鎮座、市ヶ尾の杉山神社とは丁度川を挟んだ位置にある。 従って、この地は古来からの聖地であったと思われる。
 境内には銀杏、楠、杉、梅があり、木々の豊富な神社である。



お祭
嵐除   9月10日
例大祭 10月16日

 杉山神社
横浜市青葉区みたけ台26ー1 ゼンリン


交通案内
東急田園都市線藤が丘駅 北1000m


祭神
 五十猛命


由緒
 天文年中勧請と申し伝えられるも、それより前、鎌倉古通りの傍にある要害の地なるを以って、源頼朝、守護神として厚く崇敬せり。

徳川時代に至り領主渡辺氏は年々初穂米一俵を寄進し造営又修理等の都度特別扶持米を奉納せり。

 「風土記稿」によると、八幡社、劔明神(廃社)が区域内にあり、曹洞宗祥泉院があり、また新義真言宗東光寺は慶安二年(1649)に本尊薬師へ朱印地五石が与えられた。


お姿
  上谷本村である。高台に鎮座している。宅地が山の上まで開発されている。こざっぱりした神社である。例大祭は9月17日。







 杉山神社
横浜市青葉区あかね台1-1-6 ゼンリン



交通案内
横浜線長津田駅 北1000m

祭神
 日本武尊(五十猛命)

お姿
  宅地開発された団地の一角の小高い場所に鎮座している。手入れは良く、大切にされている。上恩田杉山神社である。

 高野山真言宗徳恩寺は、慶安二年(1649)に寺領七石を受ける。曹洞宗福昌寺がある。

 神鳥前川神社は伊弉諾、伊弉冉の二神と日本武尊を祀る。また杉山神社と神明社がある。字鍛冶谷にある子野辺神社の神体は石棒という。




お祭
 10月9日 例祭

あかね台ネットから

御由緒

 この社は、上恩田の鎮守であり幕末のころ落雷のため焼失しましたが、嘉永年間(一八五〇年ごろ)に再建されました。この再建には、江戸から宮大工をつれてきて、一年がかりで建築されたと伝えられています。
 近郷に見ないほどの彫刻の多い建て物であり、こと内宮は、そののち昭和二十八年(一九五三年)の火災の際、運び出され今でも当時の立派な様子を見ることが出来ます。
 右のように由緒深い神社でありますが、時の流れと老朽化に加えて、この地域の地権者による上恩田土地区画整理組合事業が昭和五十八年(一九八三年)より施工され杉山神社も移転することになりました。
 ここに氏子一同、一意結束して社殿新築と境内地整備を決議し、平成元年五月着工、翌年七月竣工、そして同年九月十四日(一九九〇年)遷座祭、翌十五日奉祝祭を斎行、ここにめでたく上恩田地区区画整備組合事業により整備された「あかね台」の一角に偉容を誇る御神殿と境内の整備が竣工するに至り、これを記念してこの碑を建立しました。
以上

 杉山神社
横浜市緑区西八朔町208 ゼンリン



交通案内
横浜線十日市駅 北東1000m 

祭神
 五十猛命、大日霊貴命、素戔嗚尊、太田命




お姿
  神社庁平成祭礼データから
 杉山神社の史籍に於ける初見は、延喜式巻九神祇九に、「都筑郡一座杉山名神」と見 えているのであって、之に依って都筑郡唯一の式内社であること明である。而てこの 神社は地方民のみならず一般の人々の信仰の対象となったものの如くで、続日本後記 巻七承和五年二月庚戌ノ条に、「武蔵国都筑郡杉山名神預之官幣以霊験也」と見えて いる。このように霊験あらたかなことによってか、同書巻十八喜祥元年五月庚辰の条 に、「奉授武蔵国無位杉山名神従五位下」と記され、時の朝廷より贈位の恩命にさえ 接している。然しこの記事を最後として史籍には何等見えていないのであるが、杉山 神社に残る古き棟札及び別当極楽寺の墓碑の年号により推して、延宝年間に現在の場 所に移され武蔵風土記に記された如く、慶安二年八月には徳川幕府より朱印状を下賜 されている。以上の事実によって杉山神社こそ式内社の由緒深きもので、後世、明治 四十三年、無格社神明社外四社合併。大正九年九月、神奈川県告示第三六二号を以て 供進神社に指定せられたり。以上

 吉田東悟『地名辞書』によれば、「神道集・松屋外集・神祇史料にはこの社何神かを知らず、郡村諸所に分祀す、鎌倉大草紙にもこの神祠の名見ゆ。茅ヶ崎にも同神を祭り、新扁風土記にも茅ヶ崎ぞ式内の古祠ならんと述べたり。」とある。

 続日本後記の武蔵國都筑郡杉山神社に当たるとの表示がある。神社の説明碑によると、大国魂神社(東京都府中市宮町)の六の宮を自称し、大国魂神社でもそれを認めている。 これを根拠に式内社に該当すると強調している。それだけに本殿も立派である。由緒書きもあり、地元も崇敬の篤さをしのばせている。江戸時代に杉山社を深く研究した猿渡盛章は社領社境の点が勝れたりとしてここを式内社に推奨している。 名木古木にタワラグミが指定されている。
例祭 11月11日

あかね台ネットから

延喜式内社 武蔵総社六之宮 杉山神社 國魂神社宮司 猿渡盛文拝書から

 一、祭神 五十猛命 配祀 大日霊貴命、素盞鳴命、大田命
 一、由緒 当神社は武蔵國の総社、大国魂神社の六ノ宮である。続日本後紀、承和五年(八三八)二月庚戌の条に武蔵國都筑郡杉山神社預之官幣以霊験也、とある。さらに同書、承和十五年(八四八)五月庚辰の条にも奉授武蔵国元位杉山名神従五位下とある。六所宮武蔵國の総社、大国魂神社の成立は、人皇十二代景行天皇四十一年、都筑郡杉山神社は六の宮として西殿に祭られた。「武蔵総社誌」上巻に六所宮東西の御殿に鎮座す六所大神等は東御殿に一の宮小野大神、二の宮小河大神、三の宮氷川神社、以上三所鎮座す。西御殿に四の宮秩父大神、五の宮金佐奈ノ大神、六の宮杉山ノ大神以上三所鎮座す。件の六所を総称して六所宮と称す。この六ノ宮に街頭する神社が西八朔鎮座の杉山神社である。「風土記稿」に「慶安年中社領の御朱印を賜う、其の文左にのす」武蔵国都筑郡西八朔村、極楽寺杉山明神社領、同村之内、五石六斗事、任先規寄附之訖全可收納、並境内山林竹木諸役等、免除如有来永不可有相違者也、慶安二年(一六四九)八月二十四日、御朱印。以上の事実によって当神社こそ式内社の由緒深きものである。
 一、社格 明治六年十二月被列郷社との辞令 神奈川県庁より御下附あり。 大正九年九月十日 神奈川県告示第三六二号を以て神饌幣帛料供進すべき旨同県知事より指定あり。 昭和二十八年八月一日 神奈川県指令第三九九〇号を以って宗教法人杉山神社として同県知事より認証された。
 一、社殿 境内地 昭和五十七年十一月三日改築 遷宮祭執行。境内地千四百六十三坪
 昭和五拾七年拾壱月吉日
 杉山神社宮司 志村文雄 撰文謹書



 杉山神社
横浜市緑区中山町718 
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交通案内
JR横浜線中山駅 東700m   

祭神
 五十猛命

お姿
  神社の西側に長泉寺(高野山真言宗)が隣接している。供に紀伊の国から勧請されたのであろうか。 境内には銀杏、杉、樫の木がある。
 氏子会員の再募集のお知らせが張りだされている。年会費1,200円で祭礼参加などを呼びかけたものである。 最初の募集では予定数が集まらなかったと見える。この地域には新しい住宅が出来、地元以外の人々が多く移り住んでおり、 残念ながら地元の祭礼や神々に関心をよせる余裕がないご時世になっているのだろう。



お祭
10月 1日  秋の例祭

 杉山神社
横浜市緑区寺山町177 ゼンリン


交通案内
JR横浜線中山駅 南500m   

祭神
 五十猛尊、倉稲魂尊、面足尊

お姿
  恩田川を見おろす高台に鎮座。周辺は住宅街である。少し南へ行くと四季の森公園が出来ている。 木々の多かった土地柄である。神社には寺山鎮守村社杉山神社と彫られた石があり、拝殿前には上記の祭神の名前が記された板がある。 杉山社を多く見てきたが、あまりお目にかからない。境内には杉の木がある。



お祭
10月10日  秋の例祭

 杉山神社
横浜市緑区三保町2079 ゼンリン


交通案内
JR横浜線中山駅 西500m 三保交差点   

祭神
 日本武尊

お姿
  造営中である。
 造営計画
 本殿、拝殿の造園、境内の整備
 期間は平成9年10月から平成10年9月
 寄付を求めている。一口一万円で一口以上。
 寄付した者は、氏子会会員資格を得、遷宮式等へ招待される。
 50万円以上 遷宮式拝殿内参列
 5万円以上  氏名永久保存(石に刻む)
 1万円以上  氏名木札にて揚出

恐らく1億円〜2億円程度を要するであろう。成就される事を切望します。



お祭
10月 3日  秋の例祭

あかね台ネットから

御由緒

 杉山神社は、建立の時期は不詳ながら、慶長九年(一六〇四)まで近隣併せ八か村の総鎮守であり、その後久保村(三保町)の鎮守となる。
 明治維新以後国家管理の下、明治六年(一八七三)村社に指定され、同四十一年(一九〇八)村内五社を合祀、大正九年(一九二〇)神饌幣帛料共進神社に列せられる等の経緯を辿るも、昭和二十一年緊急勅令に基き神社本庁を包括団とする自主団体として存続する事となり、同二十八年宗教法人杉山神社として設立され現在に至る。
 元治元年(一八六四)に再建された本殿などは、大正九年の大改修も含め数次にわたり、修復されたが、近年頓に老朽化が著しく、また茅葺き屋根拝殿の維持管理が困難なこと等から、平成八年十月氏子中が相諮り広く浄財を募って、新築する事とし、同九年五月建設委員会を組織の上設計管理(株)社寺建築設計事務所(東京都江東区)、施工(株)上林工務店(長野県上伊那郡)により、同十年十月三日例大祭に合わせ鳥居・玉垣・手水舎等付帯工事と共に無事完工をみ、遷座祭を挙行した。
 また、平成十一年十二月にこれまで合祀の天満宮を境内神社として創立し、遷座し得たことを併せ奉祝したものである。
           平成十二年十月吉日
以上

 杉山神社
横浜市緑区青砥町1119 ゼンリン



交通案内
横浜線中山駅 北東1000m

祭神
 五十猛命 配祀 日本武尊、應神天皇、大日め貴命、面足尊


由緒
 徳川時代初期の創建とされている。
 『新編風土記稿』に「青砥村鎮守」とある。明治14年9月再建の棟札あり。大正4年8月、村内にあった無格社、御嶽社外4社を合祀。


お姿
  周辺は宅地化している。ケヤキ、アカガシ、クスノキが県指定の古木である。例大祭は10月10日。



 杉山社
横浜市保土ケ谷区西久保町118 ゼンリン

平成6年に立てられた鳥居


交通案内
保土ケ谷駅から北東へ300m、東海道本線南側 

 

祭神
五十猛命


由緒とお姿
 権太坂である。武蔵相模の境、難所、昔は一番坂と呼んでいたが、旅人が傍らの老農に坂の名を訊くことが多く、その老農耳が遠く、自分の名を訊かれていると思い、権太と答えていたのがいつの間にか坂の名となったと地元では伝わっていると云う。(『地名辞書』吉田東悟)
 本殿の背後の小山の上まで住宅が出来ている。 その為に本殿の背後までコンクリートの崩防壁が来ている。

拝殿



お祭
夏季大祭   8月6日 2日間


本殿

 杉山神社
横浜市保土ケ谷区星川1ー19ー1(明神台)



交通案内
相模鉄道星川駅南西の丘の頂上、駅から300m ゼンリン

祭神
 日本武尊、東国平定の第一人者として人気が高い。
 境内社  伏見稲荷社

お姿
  明神様として崇敬されている。高台に鎮座し、見晴らしは良い。
 ご祈祷受付所は立派である。神社では本殿拝殿が立派である必要はないが、社殿をみすぼらしく見せてしまう程受付が立派なのも雰囲気を壊す。 この神社の鎮守の杜には杉や松がそこそこあるが、なんとなく寂しげである。立ち入れないような杜が無いのである。
 宮司の家は鳥居の近くで、ここで星川杉山神社のチラシを頂いた。これによると、続日本後紀に「武蔵国都筑郡枌山神」が霊験あらたかなるを持って官社に列せられたとある。江戸名所図会に下星川村あり、延喜式内の神社「杉山明神社」として古くより語り伝えられていると記されている。

御神紋の三本杉
 神の御心は、神託、神符で伝えられてきたが、神紋でも伝えられるようになった。この神社の紋は三本杉で天に高くうっそうとした神聖な杜を表しているとの説明である。 杉は、安産のお守りや魔除け、また杉の脂は火傷や吹き出物の塗り薬に使用される。樹木は屋敷の宅神、商売繁盛の福の神として信仰されていると記されている。神社では「標の杉:しるしのすぎ」をわけている。

『平成祭礼データ』杉山神社

 杉山神社の御祭神 日本武尊 (やまとたけるのみこと)
国土平定の第一人者、日本武尊は第十二代景行天皇の第一子としてお生まれになり、 敵方から日本一強いと尊称され、草薙剱 (くさなぎのつるぎ)も一段と冴えわたり、 たちまち東国を一蹴しました。

御例祭・・九月十九日 [杉山まつり]
例祭日は九月の十九日を中心として、第二週または第三週の土・日曜日に行われます 。当日は、本殿での祭儀に引き続き神輿の渡御があり、境内では献画展や奉納行事な どが催されます。また、参道には露店など数多く並び、秋まつりにふさわしい神賑わ いを見せております。

杉山神社のいわれ
東にはるか上総の山々、西に霊峰富士をのぞむ神の丘に鎮まります当社が初めて国史 上にあらわれるのは、『続日本後記』です。その承和五年 (八三八年) の二月の条に 「武蔵国都築郡枌 (杉) 山神」が霊験あらたかなるをもって官社に列せられたとあり 、同十六年 (八四八年) 五月の条には「武蔵国旡位扮 (杉) 山名神」が従五位下を奉 授されたとあります。さらに降って、『江戸名所図会』に「新町より八町あまり北の 方下星川村にあり、延喜式内(えんぎしきない) の神社にして云々」とあるように「 延喜式」神名帳に武蔵国四十四座の中に「都築郡一座(小社) 」と記載されており、 多摩川以南、都築・橘樹・久良岐三郡において唯一の式内社との伝承が古くより語り 継がれております。御祭神日本武尊は、三種の神器草薙剣の神話にもあるように強い 意志と決断力の御神格があり、この剱が知恵のことをあらわすことから出世・開運祈 願・厄除および商売繁盛・縁結び・交通安全・金運に恵まれるとの御神徳が伝えられ 、人々は幾世代にわたりその御神助を祈ってまいりました。

御神紋の三本杉
古来より、神の御心は、神託(しんたく) 、神符 (しんぷ)などで人々に伝えられて おりましたが、やがて神の御心は具体的な形でも伝えられるようになりました。それ が神紋といわれるものです。当社の神紋は、社名の通り天に高くそびえる杉の紋で、 三本杉はうっそうとした神聖な森を表わしております。特に、杉の枝は安産の御守り や魔除にされたほか、杉の脂は火傷や吹出物などの塗り薬に使用され、杉の樹木その ものは、屋敷の宅神、商売繁盛の福の神として広く信仰されております。また、屋久 杉・神代杉に見られるように長寿のシンボルとして樹木の崇拝の中心的存在であり、 全国的に見ても杉を神木とする神社が数多くあります。

境内神社・・伏見稲荷社
御祭神 本社と同一境内に鎮座する伏見稲荷社の御祭神、倉稲魂神の「うか」「うけ 」は古く食物を意味する言葉で、また稲荷は「稲生り」「稲成り」の意味で神像が稲 を荷なっているところから「稲荷」の字があてられたといわれます。稲荷の神はもと もと農業の神ですが、米一粒が何倍にも殖えるように、広く殖産の神として商売繁盛 の福の神はもとより諸産業の守護神として、あらゆる職業の人から信仰されています 。
御神徳 商売繁盛・家内安全・交通安全・災難除・子孫繁栄また、学業成就・芸能上 達などです。

明神さまの厄除(やくよけ)
人間の一生の間には、身体的、社会的に危機あるいは転機として受けとめられている 年齢があります。このうち、災難や病気が降りかかる年を厄年と申しております。時 代や地域によって若干異なりますが、現在では、男性は二十五歳、四十二歳、六十一 歳、女性が十三歳、十九歳、三十三歳、三十七歳が厄年とされています。特に男性の 四十二歳はシニに通じ、女性の三十三歳はサンザンの意味として最も恐れられていま す。厄年をのがれるため、当社では杉山大神(明神さま) の御神徳をいただいて、厄 除の御祈祷を御奉仕申し上げております。厄年を迎えるにあたって心身の厄をはらい 、すがすがしい気持ちで毎日を過ごされますよう、心よりお祈りいたします。





お祭り
例祭  9月19日を中心に第二第三の土日曜日。

公式星川杉山神社



 杉山神社(和田)
横浜市保土ケ谷区和田286 ゼンリン



交通案内
和田 相模鉄道和田駅東 駅から橋を渡り川沿いに横浜新道の高架下まで。駅から300m

祭神
 日本武尊

お姿
  鳥居は駐車場の入り口として使われている。境内は駐車場である。一本の木すらない。 本殿の横に住宅が迫っている。拝殿前にも建物が突き出ている。駐車場の一角に神社があるようである。社殿はそれでも立派である。 木が一本もない神社は初めてである。神の依りつく神木がない。




お祭り
9月10日 夏季大祭








 杉山神社(仏向町から坂本町へ遷座)
横浜市保土ケ谷区坂本町 ゼンリン



交通案内
坂本  相模鉄道和田駅から西北西に坂本町の交差点、そこを斜めに西に行き、小学校の手前を南のおれると山すそに鳥居。

祭神
 五十猛命(いそたけるのみこと)

お姿
 
 平成5年に仏向町から移転をしている。現社地の方が高台になり、神社らしい。
 新しい拝殿と本殿である。木々はまだ大きいものはない。また、神社の上部にも住宅が建っている。できれば頂上に遷座してほしかった。住んでいる人も落ち着かないのではないか。

 仏向町には、縄文後期・晩期の貝塚がある。古くから開発されていた土地柄。

 戦国時代の武将の恩地左近でも、居城の下方に恩智神社があるので、神社を上に遷座している。
 宮司の家も新築である。移転ついでに、御祭神や由緒を書いた板一枚立てておいてほしかった。




お祭り
8月20日に近い土日曜日



 杉山神社
横浜市保土ケ谷区上星川町469 ゼンリン



交通案内
相模鉄道上星川駅 国道16号線を西に600m北側

祭神
 日本武尊
 17世紀始めこの地に遷座。

お姿
  神木のイチョウの古木は横浜市指定、本殿の浦まで住宅、横は駐車場。拝殿と宮司さんの家をつないでいる。 毎朝のおつとめは外に出る必要がない省エネ設計である。関東大震災後現拝殿が再建された。
 カシの木の大きい。




お祭り
平9年は9月18,19日






 杉山神社
横浜市保土ケ谷区川島町南原896 ゼンリン



交通案内
相模鉄道上星川駅から線路の西側を北西に500m、上星川ガーデンコーポが大きい目印、ここで川を渡り右折すると正面の山の中腹に神社の建物が見える。

祭神
 日本武尊、五十猛命
 坂上田村麿は東国に五十猛命(宮城の伊達神社)、日本武尊を祀り、日本武尊は五十猛命(福島の苔野神社)を祀っている。共に東国を治めるべく派遣された。五十猛命は開拓・植林の神としての伝道者であった。

お姿
 
 木の神を祀るひっそりとした良い雰囲気の神社である。社殿背後の丘には、杉や槙の木が多い。 小高い丘に鎮座し、雉子川沿いの人々の活動がよく見える。
 雉子川の川底はコンクリートで固められている所が目立つが、鯉が泳いでいる。




お祭り
1/2 しし舞、1/14 どんど焼き

あかね台ネットから

御由緒

 天文年代(一五三二‐一五五五)北条氏康が上杉朝定との戦いの時、この地に陣を張った夜、日本武尊の東征の夢を見て、その加護により勝利は必定であるとここに祠を建てて武運長久を祈ったといわれております。
 果たして勝利し、ただちに社殿を新築し、除地一反歩を与えて報恩の意を表したと伝えられております。  また、氏康は領民をいたわる気持ちが強く、戦乱久しく住民の困窮を救うために植林を奨励し、植林の祖神である、五十猛命を合祀したと伝えられております。
 明治六年村社に指定されました。
 現社殿は昭和三十年五月の造営です。

武蔵の五十猛命
五十猛命ホームページ
神奈備にようこそ