吉備の五十猛命

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玉野市広岡 五十猛神社

倉敷市二日市 一王子神社

倉敷市酒津 青江神社

岡山市浅川 福岡神社

岡山市中撫川 八幡神社


徳山市 新市町 素盞嗚神社

府中市 元町 木野宮神社

府中市 栗柄町 南宮神社

福山市 加茂町 倉神社




 五十猛いそたけ神社
岡山県玉野市広岡715 its-mo


交通案内
岡山駅もしくはJR宇野線常山(宇藤木)より渋川行きバス「暮石」下車西700m

祭神
五十猛命

摂社 淡島社

由緒 

 素盞嗚尊と奇稲田姫の御子(若一王子)として紹介されている。 樹木、植林の神である。
 地元の人は五十猛神社を「お宮さん」と呼び、摂社の淡島社を「淡島さん」と呼び親しんでいる。

 さて、五十猛命の呼び方はいくつかある。
 いだて   島根県の韓国伊太神社、和歌山市の伊達神社、姫路市の射楯兵主神社
 いたける  和歌山市の伊太祁曽神社、松江市の売布神社
 いそたけ  島根県の五十猛神社、玉野市の五十猛神社
 いだけ   愛媛県の伊太祁神社
 たて    有田市の立神社
  神の名であり、いく通りも呼び方があってもいいのだが、「いそたけ」が正当な呼び方ではないかと思っている。 「猛」に「建」や「武」が当てられている事もあり、本源に近い呼び方と思われる伊太には、 「る」はないのである。本山格の伊太祁曽神社は「いだきそ」「いだけそ」であり、「る」はない。 「る」は本居宣長が呼び始めたとの事で、日本武尊も「やまとたけ」が古来の読み方であったのである。

鳥居と本殿




お姿
 山裾に鎮座、桜、槙、楠の木々に囲まれている。本殿は神明造、きれいである。

 丁度秋の例祭の日に行き当たり、子供(幼児)御輿の出るところだった。



お祭

例大祭 10月第3土曜日




 一王子神社
岡山県倉敷市二日市449 ゼンリン


鳥居



交通案内
倉敷駅 南東2.2km 倉敷ー茶屋町バス 西帯江から西へ400m



祭神
五十猛命
摂社 荒神社「素盞嗚尊」


由緒
 この一帯は吉備の穴海と称され、瀬戸内海が深く湾入した多島海域であった。穴海の遺跡は周辺至近に在り、現在の平地はほとんど海であった。
 古く平安時代から信仰の山であった福山に福山寺が建立され、この寺の守護神として一王子神社は創祀された。 神社入り口の説明板には五十猛命を「いそたけ」とふりがながある。玉野市広岡の五十猛神社も同じよみであり、 この神社からの勧請かもしれない。吉備と出雲とは行き来が多く、出雲の五十猛命は「いそたけ」とよまれる事が多いので、出雲系の五十猛命を勧請したのであろう。



お姿
 穴海の北岸は福山(標高300m)東西の山麓であった。ここは山陽道を眼下に瀬戸の島々を見遥かす要地であった。 福山寺の一坊が駕竜寺で、明治の神仏分離で独立した神社となった。しかし何となくお寺的な雰囲気が残る神社であり、山門なども残っている。 境内には杉の木々が多い。


本殿と荒神社



祭り
春季例大祭   5月 4日,5日
夏季例祭    8月 1日 輪くぐり
秋季例大祭  10月第二土曜日日曜日



 青江神社
岡山県倉敷市酒津2149 ゼンリン



交通案内
倉敷駅 北西2km 倉敷ー矢掛行きバス 酒津水門すぐ

祭神
五十猛命、素戔嗚命、金山彦命、金山姫命


由緒
 王子権現と云う五十猛命を祀る神社である。素戔鳴命、五十猛命は昔から津(港)の神、岬の神であったと伝えられる此地の守護神である。 金山彦神、金山姫神は、製鉄、治金の神として、鎌倉、室町期に栄えた青江鍛冶の守護神であったと伝えられている。 吉備の穴海と呼ばれた地域で、瀬戸内海が深く湾入した多島海域であったものと思われる。酒津の名は船着き場である。 五十猛命は木の神、浮き宝の神とされ、これは船の神を意味する。
 真金吹く吉備の中山と云われた吉備は古代日本の金属採取のトップシェアを占めていたと云われる。 「穴」と云う言葉には金属採取を表現した意味もある。

お姿
 高梁川沿いの小高い丘に鎮座、その東の丘の上のは白亜のクラレ中央研究所がある。 境内には松の木々が多いがまばらで小さい。神木らしい巨木はない。


鳥居


本殿



祭り
春季例大祭   5月第四土曜日 2日間
秋季例大祭  10月第四土曜日 2日間


 福岡神社
岡山市浅川519,西祖218 ゼンリン


交通案内
岡山駅より国道2号を東に バス山の端から北東へ800m

祭神
南都春日と八幡の神々
摂社
善覚神社 素盞嗚命
稲荷神社 倉稻魂命
妙見神社 天常立神
荒神社 八衢比古命、八衢比賣命、奧津比古命
木之山神社 五十猛神、句句廼遲神

由緒 
 長和五年八月二十七日(西暦1014年)人皇六十七代三条院の御宇に創建せらる。 霊験殊の外あらたかにして正一位春日大明神と称えられ平重盛の尊信篤かったと記され、又、武神を祀る宮なる故、観応元年(1350年)に足利尊氏の軍が数か月在陣祈願したと伝える。
 明治四十三年矢井八幡宮を合祀し、福岡神社と改称した。ほかに多くの神社が摂社として祀られている。
 摂社により由緒を感じる神々のたたずまいである。
 五十猛神と句句廼遲神はともに樹木神であり、主祭神と配祭神との組み合わせは多の地域にも見える。

本殿




お姿
 小高い山に鎮座し石段が135段、上り詰めると立派な拝殿が覆い被さるように鎮座する。左右に摂社群を控えて本殿が鎮座する。


拝殿


お祭

10月 5日 1日間 例大祭(宵宮祭)
10月 7日 1日間 例大祭
10月26日 1日間 木之山祭


 八幡神社
岡山県岡山市中撫川551 mapfan

鳥居




交通案内
庭瀬駅 北西1km


祭神
品陀和氣尊、天照大御神、天児屋根命
摂社 荒神社「素盞嗚命、五十猛命、抓津姫命」

拝殿


由緒(岡山県神社庁)
 往昔、吉備中山に大吉備津彦命鎮座後、十握剣を宝物として彼の杜に納めた。寛喜年中(1229〜32)に彼の社が回禄の際、御剣を此の地に遷して奉斎した。御剣は彼の社に奉遷後、御剣の縁に依って天照大御神・須佐之男命を跡地に祭った。後、天照大御神を祀り下社とした。寛永年間(1624〜44)に八幡神・春日神を勧請して八幡神社と改号した。慶長の頃(1600年前後)再興し、元禄15年(1703)にも再興し現在に至っている。

本殿




お姿

 自転車で探し回っていた。この辺は住所表示がなく、現在どこを走っているのかがよくわからない。神社が見えたので行ってみると八幡神社とあり、やっと遭遇。
 境内に、妙見宮、時芳神社、名不明社の摂社があった。岡山県神社庁の『岡山県神社誌』には、大元神社・時吉神社・三魂神社・荒神社の名が見える。
 鳥居から拝殿までは、杉・松の背の高い木々が列をなす。

妙見宮  時芳神社
 

不明社




お祭り

   10月16日に近い土曜日  秋の大祭
荒神社  10月16日に近い日曜日



荒神宮

 撫川橋の北東すぐの荒神宮 mapfan

 ひょっとしたら、ここは八幡神社の飛び地境内かも知れないと思い、参詣した。

荒神宮


三宝宮(腰折れさん)

 戦いの途中、武士が腰を痛めてここで休憩していた。そこを敵方に発見され、殺されたので、その魂を祀ったと伝わる。腰から下の病に効能があるというので、脊椎官狭窄症持ちとしては参詣しておいた。

三宝宮
 

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