都萬神社
宮崎県西都市大字妻1 ゼンリン

鳥居


交通案内
西都バスセンターから北へ700m

鳥居

祭神
木花開耶姫命(瓊々杵命の妻)
木花開耶姫命(都農神社の大己貴命と妃:播磨国風土記の許乃波奈佐久夜比売命)
抓津比女命 『神名帳考証』による。

本殿

由緒
 日向国の延喜式内社四座の一つ。
 社地の西の清流を利用して夫婦の二神が初めて田を開き、稲を育てたので、そこを井門田里(いもんだのさと)と名づけ、ここにはじめて農業が始まったという。その後、土のなかから男・女各一人が掘り出され、そこに住むようになって神社の神人となり、その末裔が神官日下部氏であるともいう。この日下部氏の繁栄と共に当社も繁栄した。承和四年(837)に官社に列せらてたと『続日本後紀』にある。

 鎮座地「妻」は『魏志倭人伝』の投馬国に比定する説がある。官を弥弥(みみ)、副を弥弥那利(みみなり)という。とある。美々津町、耳川の存在は興味のある所。

 さて抓津比女命を祭神とする考え方は単にツマという発音の共通性だけではなく、諸県と比売の兄(夫)の五十猛命との関係が見える。宇佐八幡の辛島氏は紀氏と同族だったのかと思われる氏族で、その系譜が以下の通り。
素盞嗚尊  読み  神奈備の注
五十猛命
豊都彦トヨツ   豊の国
豊津彦トヨツ   豊の国
都万津彦ツマツ  宮崎県児湯郡妻町
曽於津彦ソオツ  鹿児島県国分市 韓國宇豆峯神社
身於津彦ミオツ  日向市美々津町
照彦テル
志津喜彦シツキ  鹿児島県曽於郡志布志町
児湯彦コユ   宮崎県児湯郡
諸豆彦モロツ  児湯郡諸県
 児湯郡妻町、児湯郡諸県に五十猛命の子孫の名が関係している。そういう意味で都萬神社の祭神が都万津彦とペアとなる都万津比売(抓津比女命)であっても不思議ではない。   

摂社 大山祇神社   霧島神社、四所神社

お姿

 西都原古墳群の西側に大きい社叢をともなって鎮座している。樹齢1200年の楠の古木を始め、高さ40mを越える楠木が林立している境内であり、「妻のクス」として国の天然記念物、植樹の神五十猛神の妹神の鎮座地らしい雰囲気。
 池か掘には水が蕩々と流れ込んでいる。東向きに鳥居・拝殿・本殿が一直線に並ぶ。
 千年楠の木洞があり、写真の向こう側からくぐる。願い事を一つ心で思いながら通る。紀の国の伊太祁曽神社にもこのような木俣が置かれている。

太鼓橋と拝殿   千年楠の木洞

樹齢1200年楠

お祭り
  11月 18日 前夜祭、19日 例大祭

『平成祭礼データ』から

 都萬神社案内記
 ◎天孫降臨と都萬神社 恋にやさしい縁結びの神 当都萬神社は大山祗神の娘木花開耶姫命をお祀りする延喜式内のお宮で妻萬宮とも申します。天孫瓊々杵尊と木花開耶姫命が逢初川で見逢いされ、事勝国勝長狭神の仲人により日本最初の正式な結婚式が八尋殿で挙げられ、新婚生活を送られた処と伝えられ、サクヤ姫は結婚一夜にしてご懐妊されたので、天孫ニニギの尊ははたして自分の子供であろうか?と疑われたのを恥給い、木花開耶姫命は身を以て貞節を示さんものと〃無戸室〃産殿に火を放ち「もし貴方の子供でなかったら私は焼け死ぬでありましょう、貴方の子供であれは火に害のう事なく無事に生まれましょう」と誓いをたてられ、無事に三人の皇子(火闌降命、彦火火出見尊、火明命)をお生みになり女性としての純潔を示されたところと伝えられます。そのことは『日本書紀』に次のように記されています。
 天孫瓊々杵尊曰く「汝は(サクヤ姫に対し)霊異しき威有し。子等復倫に超れたる気有り」と仰せになり木花開耶姫命をいたわり敬愛の情をお示しになっています。三皇子の御名は火の中でお生まれになったので火の字が附してあります。尚無戸室産殿でお生まれになった三皇子の産湯をお使いになった〃児湯の池〃が史跡として保存されています。
 さて無事に御生まれになった三皇子をお育てになるに母乳で足りない分を補うため一方ならぬ御苦心の程が伺われます。西都原よりわき出づる水を利用して狭名田と言う細長い田を作り、その田の稲(お米)で甘酒えお造り、その甘酒を以て三人の皇子を御養育されたと伝えられています。都萬神社では今尚秋の大祭には必ず甘酒を神前にお供えしてお祭りをすることになっています。又『日本書紀』に木花開耶姫命「卜田を以て狭名田と曰う、その田の稲を以て天の甜酒を醸みて新嘗す、渟浪田の稲を用て飯に為しぎて新嘗す」とあります。是が地上における新嘗祭の起源ともなっています。甜酒美酒のことなりとあり、我国で始めてお米を以て造られたお酒の発祥地は西都市であり、木花開耶姫を祀る都萬神社であることが『日本書紀』により証明されています。都萬神社南西に当たる処に現に酒元と云う部落がありバス停留所もあります。
 ◎恋の願いが叶い良縁に恵まれる 特殊神事〃更衣祭〃 都萬神社の更衣祭は日本のお祭りの中でも最も珍しい祭典行事であります。祭神木花開耶姫命が天孫瓊々杵尊に逢初川のお見逢いによって長狭神の媒介によりお嫁入りされる時の古事そのままの姿をおつくりする神事で、晴れの婚礼衣裳をサクヤ姫の御神像にお着せ申し、白粉や口紅をつけ角隠しの帽子をかぶせ、花嫁姿になられる有様を生でじかに行うゆかしい神事であります。この神事が我が国婚姻儀礼のハジメであると社伝にあります。当日は午後三時まで全く可愛らしい清らかな姿を御神殿正面に御遷座申し上げ、その間一般参拝者に拝観が許されます。良縁に恵まれ仕合せな結婚が出来た人。又良縁に恵まれたい人の参拝が多く、殊にお母さん方のお参りが多いのは母親の愛情から女性の守り神として崇敬が厚いからでありましょう。青年男女のお参りは特に正月の年頭参拝は押すな押すなの盛況ぶりで最近は東京方面からの女性参拝も多くなっています。
 以上

『宮崎県神社誌』、『式内社調査報告』『平成祭CD』

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