杵島郡白石町辺田2925 its-mo
祭神 由緒 『消された覇王』(小椋一葉:河出書房新社)に五十猛が半島から帰国時着岸した海岸が、稲佐山麓八艘帆ヶ崎(はすぽ)と記されている。この言い伝えが実際にあったとすると当地は五十猛命の上陸伝承の地と言うことになる。
八艘帆が崎の説明板から引用する。
八艘帆が崎(はっすぼがさき)
一、口伝によれば稲佐大明神着岸のところを焼天神と伝えている。
二、神代の時、素盞嗚尊の子、五十猛命は孤津、大屋津命と共に韓地より樹種を持ち帰り、この岬に着岸され全山に植林せられたと言われている。
三、稲佐山累縁記によれば、百済聖明王の王子阿佐太子は、欽明天皇の勅命に依り、火ノ君を頼り稲佐に妻子従房数十人、八艘の船にて来航、座所二カ所を設けらる。 一を北の御所と言い、一を太子庵という。この岬に八艘の帆を埋没したので、その後八艘帆が崎と言う。
四、平城天皇大同二年、空海上人(弘法大師)帰朝し、ここ八艘帆が崎に上陸、太子庵にて稲佐山開創の事務を執らる。
補、焼天神の地域は、八艘帆が崎と同じである。
平成四年四月吉日 御即位大嘗祭記念
佐賀県神社誌(縣社 稲佐神社)から 徐福が不老不死の薬草を探しに来たとの伝承が残る。(角川歴史地名辞典)
杵島山は佐賀藩の御猟場となり、里人の立ち入りが許されず、杵島山についての古伝承は殆ど失われたが、五十猛神がこの山に樹木の種をまいて繁茂させ、「木の山」と呼ばれたと云う話は伝えられて来た。(平凡社 地名辞典)
山の中腹に鎮座、相当な登りである。社殿前の鳥居の前には流鏑馬神事を行う無舗装の道がついている。 杵島山風土記逸文によると、杵島山には南西から北東にかけて三つの峰があり、南西の峰を比古神、中の峰を比売神、北東の峰を御子神と称すという。御子神は別名軍神とも呼ばれ、この峰が鳴動すると戦いが始まると言い伝えられている。 神仏混淆で盛んな頃は六十坊を数えたと言う。 樹齢600年の大楠がある。 お祭り 五十猛命ホームページ 神奈備にようこそ |