猛島神社
長崎県島原市宮の町247番地 its-mo



交通案内
島原鉄道島原駅 北5分、海岸沿い

祭神
五十猛神、大屋津姫神、抓津姫神

配祀 譽田別命、大綿津見命、天照大日命、天津兒屋根命、 菅原道眞、沫那藝命、沫那美命、國常立命、彌都波能賣命、猿田毘古命、 現仁命、多紀理比賣命、狹依比賣命、多紀津毘賣命、奇稻田比賣命、神速須佐能男命、 八男子命、大國主命、大山咋命、八重事代主神、御年神、大年神、若年神、志賀神、猿田彦神、宮毘神
摂社 御前神社「八重事代主命」

鳥居と拝殿

由緒
 「平成祭礼データ」から

 御祭神は、素佐之男尊の御子、五十猛神、大屋津姫神、柧津姫神を配祀する。
 日本書紀一書によれば、五十猛神が新羅から多くの木の種を持って帰り、それを妹の大屋津姫、柧津姫の2神と共に筑紫の国からはじめて全国に播いて歩かれたという。
 元和4年(1618)年、松倉豊後守重政公が、森岳城(現島原城)を築くまで、森岳大権現として祭っていた。

 その創祀は遠く不明であるが、森岳の森は神を祭る木の茂った聖地の意味で、岳は神聖な高地を意味する。この聖なる森岳に迎え祭った神は、森信仰の神であることには想像するにかたくない。森の神は地主神であり、農の神である。その神格は周辺の集落を開き造り始めた住民たちの祖霊と習合する民俗信仰にもとづいたものである。

 島原半島を領した松倉重政公が築城するにあたって、森岳大権現を鷹島(今の高島町)に移し鷹島大権現と改めた。さらに寛永2(1625)年に森岳城の鬼門にあたる現在地に神苑を営み社殿を新たに設け遷座した。それから高力氏をへて、延宝3(1675)年8月15日に松平忠房公は社殿を改造したのを機に、かねて考証させていた、侍講の伊藤栄治の説を採用して猛島大明神と改めた。

 その祭神論は猛島社本記に詳しいが、旧社地の鷹島は五十猛神に由来すると推論し、木の神、有功の神であると考証した。伊藤栄治の祭神考の正否はとにかくとして、島原の鎮守の神として古くから信仰され、住民に崇敬されていたことは疑いのないことである。

 森岳域の守護神島原城下の氏神、島原領民の総社、島原半島を代表する神社として昭和58年に360年祭も行った。不知火燃える有明海に臨む聖地は、森岳に再建された島原城を指呼の間に眺め、在りし日の森岳大明神の歴史を偲ばせ、背後に眉山の優姿、はるかに雲仙岳の霊峰を仰ぐ。神苑は広荘、白鳥の浮く御手洗池には、神さびた老松が影をうつし、磯辺に寄する白波のさざめき、そよ吹く松風の音は悠久の歴史をささやき、社殿の荘麗と古雅とあいまって、森厳きまわりなく、おのずから、鎮守の森にふさわしい霊気をただよわせている。

お姿
 島原駅から北へ徒歩10分。海の側に鎮座する。
 大きい池があり、大きい白い鳥がのんびりと待っていてくれた。海辺らしく松林が社叢になっている。本殿の厳かな雰囲気には身がひきしまる思いであった。

有明海を背景とした社叢風景

本殿

お祭り
  10月13日 例大祭(島原くんち、神幸祭(お下り))
  10月14日 例大祭(氏子安全祈願祭)
  10月15日 例大祭(神幸祭(お上り))
 

肥前の五十猛命
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